私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私63.甘かった父への期待
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
動物が好きな父が支持してくれたため、
母の反対を押し切って飼ったハムスター。
「お母さんはネズミなんてみたくない!!」
と言われていたために、
私は自分の部屋に、
プラスチックの鳥籠をおいて、
そこで飼いだしたのですが、
それからすぐ、
私の体に異変が現れてしまいました。
体中に蕁麻疹ができたのです。
父も母も、
私の首から太腿までビッシリと大きな、
まるで世界地図のような、
赤い斑点が出ているの見て、
その状態のあまりの悲惨さに、
最初は2人とも驚いたのですが、
その後の反応は様々でした。
私の体は見るも無残なものだったのですが、
父は体中に赤い斑点が出来た私の姿をみて、
「タムシじゃないのか?じゅんは汚いんだ」
と囃し立てるように言い、
母は、
「ネズミを飼っているからよ!部屋から出しなさい!!」
と言って、
私の部屋で飼っていたハムスターの籠を、
物置の中に移動しました。
私は自分の体が痒いを通り越し、
蕁麻疹が出ている箇所が、
熱くて痛いことを両親に伝えたのですが、
父は囃し立てるだけで終わり、
母は、
ハムスターに原因があると思っていたためか、
ハムスターを物置に移しただけで、
私を病院に連れていってくれることは、
ありませんでした。
病院に連れて行ってもらえなかったため、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
生真面目な私は、
自分で見ても蕁麻疹が酷くて、
気持ちが悪いから、
ブルマーからこんな足を出したくないと、
思っていたけれど、
病院にかかっていなくて、
母からも何も言われていない以上は、
体育の授業を休めないと思い、
こんな腫れに覆われた脚を露わにしながら、
体育の授業を受けていました。
そんな私の姿をみた養護教諭は、
「あなた…」
と言ったきり黙ってしまい、
私の目の前で、
他の女の先生とヒソヒソ話すだけで、
私がどうしたらいいか、
教えてくれることはありませんでした。
人生で初めて出来た蕁麻疹で、
どう対処したら良いか、
分からなかったのですが、
それを教えてくれる大人は、
周囲にいませんでした。
私はこんな姿を見られたら、
友達に気持ち悪がられると思いましたが、
「蕁麻疹だから、移らないから」
ということで安心してもらえたのが、
唯一の救いでした。
でも病院に行っていないので、本当のところは分かりません。
私のこの蕁麻疹は、
ハムスターを私の部屋から移したあと、
症状が治まったため、
最後まで、
病院に連れて行ってもらうことはなく、
ハムスターのせい、ということになりました。
私は母から、
「近寄ってまた蕁麻疹がでても知らないよ」
言われていて、
でも私以外に、
ハムスターの面倒を見る人がいなかったため、
「また蕁麻疹がでたらどうしよう?」
と怯えながら、
こっそりお水とヒマワリの種を、
物置に行ってハムスターに与えていました。
ちゃんと面倒を見ることが出来なかったため、
外に放すことも考えたのですが、
「1匹だけ外に放しても、
生きていくことが出来ないんじゃないか?」
「放してうちやご近所の家をかじって、
駄目にしてしまったらどうしよう?」
「家族の中で唯一、
ハムスターを可愛がってくれていた父が、
外に放したと言ったら怒るんじゃないか?」
と、色々と考えてしまい、
結局、実行に移すことが出来ませんでした。
この時の私には、
こんなことを相談出来る相手さえ、
いなかったのです。
1人でグルグルと思考してばかりいて、
何の行動も出来なかった結果、
ある日の夜、
いつものようにコッソリと、
物置にお水とヒマワリの種を持って行くと、
ハムスターは固くなって、
死んでしまっていました。
私が殺した。
そう思いました。
私が飼いたいと言って、
面倒を見る人間は私しかいなかったのに、
その私が蕁麻疹で、
面倒を見ることが出来なかったのですから。
私は夜の暗い中、
ハムスターを新聞紙に包んで取り出すと、
庭の土に穴を掘って埋めました。
その時に私の家の前を、
部活帰りで通りかかった同級生のAちゃんが、
「何をしてるの?」
と私に聞いてきたのですが、
私は正直に答えることが出来ませんでした。
ハムスターの死は、
私の中で、
軽々しく口に出来ない話題だったのです。
「うん、ちょっとね」
と答えた私が、
シャベルを持っていたのに気付いたAちゃんは、
「家庭菜園?」
と冗談めかして聞いてきました。
「ううん、違う」
こんなやり取りを、
私は数回、Aちゃんと繰り返しました。
自責の念に駆られていた私は、
自分の悪行を、
見咎められたかのような気持ちで、
Aちゃんが早く、
この場を離れてくれることを願いました。
けれど、今にして思えば。
夜の暗い中(多分、夜8時前くらい)に、
明かりもつけず、
1人俯きながら、
庭の隅を掘っていた私の様子が、
おかしかったことに気付いて、
Aちゃんは、
声をかけてきてくれたのかも知れません。
Aちゃんとは、
小学校の頃から一緒だったのですが、
人の心の機微に聡く、
唯一、私の幼なじみのすーちゃんが、
私を子分のように扱っていることに対し、
私に
「そんなのは友達じゃないと思う」
と、
忠告してくれた女の子でした。
私にとってAちゃんは、
いつもクラスの中心にいる憧れの女の子で、
クラスの人気者でありながら、
小学校で問題児だった私にも、
普通に話しかけてくれる、
とても有難い存在でもありました。
Aちゃんとの会話で、
私の自責の念は、
少し紛らわすことが出来ました。
けれど私は、恐らく悲しんでくれない、
家族の誰にも、
ハムスターの死を、
伝えることはありませんでした。
そして、ハムスターを暗く寂しい場所で、
死なせてしまった私は。
2度と生き物は飼わない。
と、心に誓ったのでした。
マルトリートメントと私65.気絶するほどの疲労に続きます。