私の成育歴

マルトリートメントと私64.蕁麻疹とハムスター

ハムスター
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

動物が好きな父が支持してくれたため、
母の反対を押し切って飼ったハムスター。

「お母さんはネズミなんてみたくない!!」

と言われていたために、
私は自分の部屋に、
プラスチックの鳥籠をおいて、
そこで飼いだしたのですが、
それからすぐ、
私の体に異変が現れてしまいました。

体中に蕁麻疹ができたのです。

父も母も、
私の首から太腿までビッシリと大きな、
まるで世界地図のような、
赤い斑点が出ているの見て、
その状態のあまりの悲惨さに、
最初は2人とも驚いたのですが、
その後の反応は様々でした。

私の体は見るも無残なものだったのですが、
父は体中に赤い斑点が出来た私の姿をみて、

「タムシじゃないのか?じゅんは汚いんだ」

と囃し立てるように言い、
母は、

「ネズミを飼っているからよ!部屋から出しなさい!!」

と言って、
私の部屋で飼っていたハムスターの籠を、
物置の中に移動しました。

私は自分の体が痒いを通り越し、
蕁麻疹が出ている箇所が、
熱くて痛いことを両親に伝えたのですが、
父は囃し立てるだけで終わり、
母は、
ハムスターに原因があると思っていたためか、
ハムスターを物置に移しただけで、
私を病院に連れていってくれることは、
ありませんでした。

病院に連れて行ってもらえなかったため、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
生真面目な私は、
自分で見ても蕁麻疹が酷くて、
気持ちが悪いから、
ブルマーからこんな足を出したくないと、
思っていたけれど、
病院にかかっていなくて、
母からも何も言われていない以上は、
体育の授業を休めないと思い、

蕁麻疹こんな腫れに覆われた脚を露わにしながら、
体育の授業を受けていました。
そんな私の姿をみた養護教諭は、

「あなた…」

と言ったきり黙ってしまい、
私の目の前で、
他の女の先生とヒソヒソ話すだけで、
私がどうしたらいいか、
教えてくれることはありませんでした。

人生で初めて出来た蕁麻疹で、
どう対処したら良いか、
分からなかったのですが、
それを教えてくれる大人は、
周囲にいませんでした。

私はこんな姿を見られたら、
友達に気持ち悪がられると思いましたが、

「蕁麻疹だから、移らないから」

ということで安心してもらえたのが、
唯一の救いでした。

でも病院に行っていないので、本当のところは分かりません。

私のこの蕁麻疹は、
ハムスターを私の部屋から移したあと、
症状が治まったため、
最後まで、
病院に連れて行ってもらうことはなく、
ハムスターのせい、ということになりました。

私は母から、

「近寄ってまた蕁麻疹がでても知らないよ」

言われていて、
でも私以外に、
ハムスターの面倒を見る人がいなかったため、

「また蕁麻疹がでたらどうしよう?」

と怯えながら、
こっそりお水とヒマワリの種を、
物置に行ってハムスターに与えていました。

ちゃんと面倒を見ることが出来なかったため、
外に放すことも考えたのですが、

「1匹だけ外に放しても、
生きていくことが出来ないんじゃないか?」

「放してうちやご近所の家をかじって、
駄目にしてしまったらどうしよう?」

「家族の中で唯一、
ハムスターを可愛がってくれていた父が、
外に放したと言ったら怒るんじゃないか?」

と、色々と考えてしまい、
結局、実行に移すことが出来ませんでした。

この時の私には、
こんなことを相談出来る相手さえ、
いなかったのです。

1人でグルグルと思考してばかりいて、
何の行動も出来なかった結果、
ある日の夜、
いつものようにコッソリと、
物置にお水とヒマワリの種を持って行くと、
ハムスターは固くなって、
死んでしまっていました。

私が殺した。

そう思いました。

私が飼いたいと言って、
面倒を見る人間は私しかいなかったのに、
その私が蕁麻疹で、
面倒を見ることが出来なかったのですから。

私は夜の暗い中、
ハムスターを新聞紙に包んで取り出すと、
庭の土に穴を掘って埋めました。

その時に私の家の前を、
部活帰りで通りかかった同級生のAちゃんが、

「何をしてるの?」

と私に聞いてきたのですが、
私は正直に答えることが出来ませんでした。

ハムスターの死は、
私の中で、
軽々しく口に出来ない話題だったのです。

「うん、ちょっとね」

と答えた私が、
シャベルを持っていたのに気付いたAちゃんは、

「家庭菜園?」

と冗談めかして聞いてきました。

「ううん、違う」

こんなやり取りを、
私は数回、Aちゃんと繰り返しました。

自責の念に駆られていた私は、
自分の悪行を、
見咎められたかのような気持ちで、
Aちゃんが早く、
この場を離れてくれることを願いました。

けれど、今にして思えば。

夜の暗い中(多分、夜8時前くらい)に、
明かりもつけず、
1人俯きながら、
庭の隅を掘っていた私の様子が、
おかしかったことに気付いて、
Aちゃんは、
声をかけてきてくれたのかも知れません。

Aちゃんとは、
小学校の頃から一緒だったのですが、
人の心の機微に聡く、
唯一、私の幼なじみのすーちゃんが、
私を子分のように扱っていることに対し、
私に

「そんなのは友達じゃないと思う」

と、
忠告してくれた女の子でした。

私にとってAちゃんは、
いつもクラスの中心にいる憧れの女の子で、
クラスの人気者でありながら、
小学校で問題児だった私にも、
普通に話しかけてくれる、
とても有難い存在でもありました。

Aちゃんとの会話で、
私の自責の念は、
少し紛らわすことが出来ました。

けれど私は、恐らく悲しんでくれない、
家族の誰にも、
ハムスターの死を、
伝えることはありませんでした。

そして、ハムスターを暗く寂しい場所で、
死なせてしまった私は。

2度と生き物は飼わない。

と、心に誓ったのでした。

マルトリートメントと私65.気絶するほどの疲労に続きます。