私の成育歴

マルトリートメントと私45.生きていた私

仏様に祈る少女
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私は小学校に入学してから、
原因不明の、
肋骨の裏が攣るような痛みに、
襲われるようになり、
呼吸する度に刺すような激痛が走り、
呼吸出来なくなる状態に頻繁に陥りました。

その状態は私にとって、
とても苦しいものではありましたが、
自分が毎晩、
父親の性的興奮に利用されている、
と知ってからは、

「このような痛みがある自分は長生きしないに違いない」

と思うことが、
自分の正気を保つための希望となりました。

父親から、
今以上の性的行為をされないために、
大人になってはいけない、
と思っていた私は、

「自分は小学生までで死ぬのだ」

と思い込むようになり、
その思い込みは、
私の中で自分の正気を保つため、
厳然とした事実として、
存在するようになりました。

そんな頃、
ASD(自閉スペクトラム症)の、
性質を持っていて、
小学校に馴染めなかった私を、
心配した母親は、
私を何とか集団生活に馴染ませようと、
檀家に入っていた寺が行なっていた、
檀家の小学生の子弟を集めた日曜学校に、
私と兄を通わせたのですが、
私はそこで、
仏教的な生死感を教えられ、
そしてASDの特性から、

「自殺したら極楽浄土に行くことが出来ず、
死んでからも永遠にその時の苦しみを味わうことになる」

というお寺の教えを、
そっくりそのまま信じた私は、

「この世でどんなに辛いことがあっても、
それはいつかは終わることだけれど、
自殺したら永遠に苦しみ続けるのだから、
自殺だけはしてはいけない」

と思っていました。

そして、

「南無阿弥陀仏」

と唱えれば極楽浄土に行けるのだから、
神様や仏様に一生懸命に祈れば、
ほかの願いも叶えてもらえると、
やはり本気で信じていた私は、

「どうか私を12歳(小学校6年生)で死なせて極楽浄土に行かせてください」

と、
毎日一生懸命に、
心の中でお祈りしていました。

その時の私の頭の中では、
神様と仏様の区別はあまりついておらず、
ただ神様や仏様は、
この苦しみから、

"死"

という形で私を救ってくれる、
力を持った存在、
と認識されていました。

この辛い生を自殺せずに終われば、
お寺でみた絵本の中の人達のように、
蓮の花の中で眠りながら、
極楽浄土へ行けるのだ、
と思うことが、
私の救いになっていました。

けれど救いは、
私の願いとは全く別の、
父が出稼ぎに出て一緒に暮らさなくなる、
という形で現れました。

それで私の、
気が狂うような現状は、
終わりを告げたのですが、
だからといって、
家庭や学校に私の居場所があった訳では、
ありませんでした。

父親が家から居なくなろうとも、
私は母親からは

「お前のことは理解出来ないから放っておく」

と言われ、
兄からは、

「お前さえ居なければうちの家族は上手くいく」

と言われた人間でした。

学校では普通に振る舞うストレスを抱え、
家では居場所が無かった私の、
肋骨の裏の痛みは、
やはり消えることはありませんでした。

そのためやはり、

自分は12歳で死ぬのだ

という気持ちも、
私の心の中から、
消えることはありませんでした。

だから、
自分が12歳の誕生日を迎え、
小学校を卒業しても、
肋骨裏の痛みは未だにありながら、
それでもこの世に生存していた時には、
私はどうしたらいいか、
分かりませんでした。

ただ神様や仏様は、
私にこの体や心の苦痛を味あわせたまま、
極楽浄土には連れていってくれないのだと、
そのことだけを認識させれれたのでした。

マルトリートメントと私46.自分の好みが分からない中学生に続きます。