私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私44.私が見つけたお母さんの代わり
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
私は小学校に入学してから、
原因不明の、
肋骨の裏が攣るような痛みに、
襲われるようになり、
呼吸する度に刺すような激痛が走り、
呼吸出来なくなる状態に頻繁に陥りました。
その状態は私にとって、
とても苦しいものではありましたが、
自分が毎晩、
父親の性的興奮に利用されている、
と知ってからは、
「このような痛みがある自分は長生きしないに違いない」
と思うことが、
自分の正気を保つための希望となりました。
父親から、
今以上の性的行為をされないために、
大人になってはいけない、
と思っていた私は、
「自分は小学生までで死ぬのだ」
と思い込むようになり、
その思い込みは、
私の中で自分の正気を保つため、
厳然とした事実として、
存在するようになりました。
そんな頃、
ASD(自閉スペクトラム症)の、
性質を持っていて、
小学校に馴染めなかった私を、
心配した母親は、
私を何とか集団生活に馴染ませようと、
檀家に入っていた寺が行なっていた、
檀家の小学生の子弟を集めた日曜学校に、
私と兄を通わせたのですが、
私はそこで、
仏教的な生死感を教えられ、
そしてASDの特性から、
「自殺したら極楽浄土に行くことが出来ず、
死んでからも永遠にその時の苦しみを味わうことになる」
というお寺の教えを、
そっくりそのまま信じた私は、
「この世でどんなに辛いことがあっても、
それはいつかは終わることだけれど、
自殺したら永遠に苦しみ続けるのだから、
自殺だけはしてはいけない」
と思っていました。
そして、
「南無阿弥陀仏」
と唱えれば極楽浄土に行けるのだから、
神様や仏様に一生懸命に祈れば、
ほかの願いも叶えてもらえると、
やはり本気で信じていた私は、
「どうか私を12歳(小学校6年生)で死なせて極楽浄土に行かせてください」
と、
毎日一生懸命に、
心の中でお祈りしていました。
その時の私の頭の中では、
神様と仏様の区別はあまりついておらず、
ただ神様や仏様は、
この苦しみから、
"死"
という形で私を救ってくれる、
力を持った存在、
と認識されていました。
この辛い生を自殺せずに終われば、
お寺でみた絵本の中の人達のように、
蓮の花の中で眠りながら、
極楽浄土へ行けるのだ、
と思うことが、
私の救いになっていました。
けれど救いは、
私の願いとは全く別の、
父が出稼ぎに出て一緒に暮らさなくなる、
という形で現れました。
それで私の、
気が狂うような現状は、
終わりを告げたのですが、
だからといって、
家庭や学校に私の居場所があった訳では、
ありませんでした。
父親が家から居なくなろうとも、
私は母親からは
と言われ、
兄からは、
と言われた人間でした。
学校では普通に振る舞うストレスを抱え、
家では居場所が無かった私の、
肋骨の裏の痛みは、
やはり消えることはありませんでした。
そのためやはり、
自分は12歳で死ぬのだ
という気持ちも、
私の心の中から、
消えることはありませんでした。
だから、
自分が12歳の誕生日を迎え、
小学校を卒業しても、
肋骨裏の痛みは未だにありながら、
それでもこの世に生存していた時には、
私はどうしたらいいか、
分かりませんでした。
ただ神様や仏様は、
私にこの体や心の苦痛を味あわせたまま、
極楽浄土には連れていってくれないのだと、
そのことだけを認識させれれたのでした。
マルトリートメントと私46.自分の好みが分からない中学生に続きます。