私の成育歴

マルトリートメントと私9.幼い私の願い

空に手を向ける少女
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

幼い私の願い

言葉が理解出来るようになった、
保育園児の頃の私への虐待は、
父からの、
主に言葉の暴力でした。

特に前回の記事に書いた、

「女の子なら要らない」

「お前のせいで母さんは死にかけた」

「母さんの体が悪いのはお前のせいだ」

この3つの言葉は、
私がこの世に存在する意味を、
失わせるのに充分な力を持っていました。

ただ、幼かった私は、
まだ"死"という概念を、
持ち合わせていませんでした。

だから、いつも、
私はお空を見上げて、
こんな風にお願いしていました。

「いい子にしているから、早くお空に帰してね」

空に手を向ける少女

かなり田舎で、
近所に子供が住んでおらず、
遊び相手は兄だけだった私は、
人間以外の、
自然の花や木や風に向かって、
話しかけて遊ぶ子供に育っていました。

1人で遊んでいる時、
私は自然と会話しながら遊んでいたため、
寂しいと感じることはなく、
むしろ、家族の中にいるよりも、
何かに抱かれているような安心感があって、
伸び伸びと自由に遊ぶことが出来ました。

お空に帰ったら、
この自分の周りを取り囲んでいる、
花や木や風と一緒の存在になれると思っていて、
そうしたら、
家族の中にいて寂しい思いをするよりも、
とても幸せだと感じていました。

だから、ことあるごとに、
私はお空に向かって話しかけていました。

「◯◯するから、ちゃんとお空に帰してね」

「今度は◯◯するから、今度こそちゃんとお空に帰してね」

◯◯の中には、
保育園児が思いつくくらいの、
溝に落ちているドングリを助けてあげるとか、
一人ぼっちの小さな木のところに、
毎日遊びに行ってあげるとか、
そんなたわいもない、
良いことが入っていました。

でも、
私がいくら自分が思いつく、
お空が喜んでくれそうな良いことを続けても、
一向に私をお空に帰してくれる気配はなく、
私が成長するにつれて、…
私に対する父の虐待は、
だんだん言葉だけでは無くなってきたのでした…

マルトリートメントと私10.食事を父親に取られる子供に続きます。