昨日の記事で、
自分が納得しなければ動けない私が、
言われた時期を失して、
教えてもらった通りに行動出来ず、
自分の考えで、
行動したことを書いたのですが。
この行動を取る時に、
私はいつも激しいジレンマに、
陥ることがあります。
それは…
人と同じ時に同じことが出来ない自分を、
気にかけて応援しようとしてくれている人の、
優しさを無下にする結果になってしまうこと。
ASD(自閉スペクトラム症)の
こだわりの強さは、
「とりあえずやってみる」
が出来ないため、
言われたことに納得出来ず、
自分が納得いくように行動すると、
相手の意図したことと、
違う行動になってしまうことがあります。
そしてこれは、
皆んなと同じ行動が取れない私を、
気にかけて、
何とか皆んなと同じことを、
させてあげたいと、
私に協力しようとしてくれている、
人の気持ちを、
無下にする結果になってしまいます。
皆んなと同じことが出来るように色々教えてくれるのに、
私は自分が納得いかないからと、
言われていることを無視する形になってしまうためです。
これは多分、
ASDの特性があるだけの人だったら。
自分が人の優しさを無下にしたことに、
気がつかないと思います。
そしてかえって。
自分のこだわりを満たせたことに満足して、
優しさを無下にした相手に対して、
自分のこだわり通りに出来たことを、
自慢さえしてしまうかもしれません。
そうして、
何とか自分を支えようとしてくれる人達を、
知らぬ間に落胆させて、
自分から遠ざけてしまうのです。

子供の頃の私は、
多分にこのようなことを、
起こしがちな子供でした。
子供の頃の私は、
自分の心のままに行動することで、
相手がどのように傷つくかの想像力が、
欠けていたのです。
けれど、
機能不全家族の中で、
マルトリートメント(不適切な養育)を受け。
人から自分を大切にされることが、
当たり前ではない環境で育ってきた
愛着障害を抱えた私は。
"普通"と言われる行動が取れない私に、
親切にしてくれる人が、
どんなに貴重な存在であるかを、
早くに学ぶことが出来ました。
普通の子供のように振舞うことが出来なかった私は、そのことを理由に、本来なら自分を愛してくれる存在であるはずの母親からでさえ見捨てられた子供だったため、自分の存在を気にかけてくれる人がいることが、どんなに有難いことなのかを知っていました。
このことを学ぶことなく、
子供の頃に親や家族に守られて、
自分の言動を省みることなく、
社会に出ていたら、
きっと私は学生の頃と社会に出てからの、
周囲の対応の違いについていけず、
2次障害を発症していたのではないか、
と思います。
その点では、私は自分の家庭環境に感謝しています。
けれど、やはり。
自分の中のこだわりよりも、
自分に親切にしてくれる人の気持ちを優先すると、
物事を受け流すことが苦手なASDの私は、
自分の心が苦しくなってしまいます。
そして、いつも。
自分に親切にしてくれる人の、
思いに応えたい気持ちと、
自分のこだわりの通りに、
行動したい気持ちの、
両極で苦しむことになるのです。
このような苦しみを抱えるのは、
単にASDの特性があるだけでなく、
人の気持ちにも敏感な、
愛着障害の特性もあるからだと思います。
そして、いつも苦しむために、
私は自分の中で、
1つの指針を設けています。
それは…
プライベートでは自分の思いを優先する
ということ。
プライベートでまで人の顔色を伺ったら、
自分が自分でなくなって、
自分を取り戻すことは困難であることを、
私は身をもって、
体験してしまっているから。
そう決めることで、
人の親切に応えられない苦しさが、
無くなることはないのだけれど。
この苦しさは、
相手の気持ちを無下にしても、
通したかったこだわりの重さだと考えて、
抱えていこうと思います。