セラピー/カウンセリング

心理セラピーの2次被害

クッションで叩く女性達

生まれた時に父親から、
女の子なら要らないと言われた私は、
1つ歳上の兄からも

「おまえさえいなければうちの家族は上手くいくのに」

と言われていました。

その理由は、父と母が、
毎日のように繰り広げる夫婦喧嘩の原因が、
主に私が理由だったから。

毎日焼酎で晩酌をする父は、
夕飯時には、
お刺身を食べることが多かったため、
母はそんな父親の食事とは別に、
私と兄の2人には、
ハンバーグなどの子供が好きなおかずを別に、
作ってくれていたのですが、
子供が好きなおかずも大好きだった父は、
よく私の夕飯のおかずを取り上げて、
勝手に全部食べてしまっていました。

「じゅん、お前、これいらないだろう、俺が食べてやるからな」

などと言って。

もちろん、私が夕飯のおかずが要らない、
なんてことは無かったのですが、
幼少時の頃の私は、
気に入らないことがあるとすぐ、
怒鳴って暴れる父が恐ろしくて、
父親に、
自分の夕飯のおかずを取り上げないで欲しい、
と言えず、
ただ涙を流すことしか出来ませんでした。

父親の前に出ると体が竦み、喉が腫れたようになって、私は声を出すことが出来ませんでした。これは場面緘黙症という精神疾患であると大人になってから知りました。

そんな私に気づいた母が、父親を注意すると、

「コイツが何も言わないからだ!!」

「取られたくなければそう言えばいいんだ!!」

と怒り出して、喧嘩になることが、
ほぼ毎日のように行われていたからでした。

ちなみに男の子が欲しかった父は兄が大好きだったため、父がおかずを取り上げるのは私からだけで、兄のものに手を出したりはしませんでした。

母に注意された父が、
怒って怒鳴り返して暴れ出し、
夫婦喧嘩に発展すると、
大体最後には、
私と母と兄は、
真っ暗な家の外に追い出されて、
(田舎で周囲は山に囲まれていたので、街灯などありませんでした)
しばらくして父の怒りが収まって、
父が迎えにくるまで、
隣の家の床下に続く細い階段に、
親子3人でじっと、
座り込んでいるのが常でした。

どれくらいか、
夜の闇の中にじっと座っていたら、
自分の家のある辺りから、
人魂のような灯りが現れて、
いつも私達が追い出されたら、
座り込んでいる階段まで、
ユラユラと近づいてきて、
それが、
父の咥えたタバコだと、
夜目に分かるまで、
まるで幽界からのお迎えのように、
感じていたことを、
今でも覚えています。

暗闇で見える炎

家を追い出されるほど、
激しい夫婦喧嘩が毎晩のように続く理由が、
父親に自分の権利を侵害されても、
何も言い返せない私を、
母親が庇っていたからだったため、
兄にとっては私や母と一緒に、
自分も家の外に追い出されることが、
巻き添えのように感じていたのでしょう。

私のために家を追い出される母を、
庇いたい気持ちもあったのかもしれません。

父は兄に好かれたかったせいか、
食べものに限らず、
兄のものを横暴に取り上げるようなことは、
しなかったどころか、
兄にだけ欲しいものを買い与えることも、
度々あったので、
兄は私のように、
父の前で声が出なくなるようなことは、
ありませんでした。

だからきっと兄には、
父と揉めごとばかり起こしている、
私の気持ちが、
分からなかったかもしれません。

その当時の私は、
まだ小学校に上がる前の幼児でしたが、
1歳年上の兄もまた、
子供だったので。

ただ、兄から言われた

「お前さえいなければうちの家族は上手くいく」

の言葉は、
幼い私の心を「本当にそうだ」と、
納得させてしまい、
自分の居場所が家族の中に無い恐怖に、
絶えず私をさらすことになりました。

そんな幼少期を過ごした私は、
大人になっても、
たとえそれが、
自分に向けたもので無かったとしても、
近くで誰かが大きな声で怒鳴られたり、
周囲のものに当たり散らされたりすると、
とても恐ろしく感じて、
体が緊張で硬くなってしまうのが常でした。

だから私は、
とある心理セラピーを受けに行った時に、
私の子供の頃の境遇を聞いたセラピストから、

「これを自分の父親だと思って殴りなさい」

と、
目の前にクッションを出された時に、
泣きたくなるくらい、
苦しい気持ちになってしまったのです。

殴る相手がクッションだとしても、
ものを殴るという行為自体が、
私にとっては暴力で、
幼い頃から暴力に晒されてきた私にとって、
暴力はとても怖くて、
恐ろしいものだったので、
自分が暴力を振るうように強要される、
という状況が、
とてもとても辛かったのです。

そのセラピストの方は、
私に対して酷い行いをしてきた、
父に対する怒りを、
吐き出させようとしたのだと思うのですが、
私には最後まで、
その行為は恐ろしくて出来ませんでした。

私の心の中にあったのは、

怒りではなく怯え

だったからです。

そのセラピストの方の、
言う通りに出来なかった私は、
これでは改善には時間がかかると言われ、
私はそのセラピーで、
自分が改善するんじゃないかという、
かなりな期待をかけて行ったので、
その言葉により、
セラピーを受けに行く前よりも、
更に自己肯定感を下げ、
一緒にセラピーを受けた他のクライアントが、
感情に任せてクッションを叩く姿にも、
ショックを受けて、
それが過去の父親の姿と重なって、
フラッシュバックのようになり、
そのセラピーに参加した後の私の心は、
何でもない時に涙が流れてしまうといった、
かなり不安定なものになっていました。

クッションで叩く女性達
その時は、

自分は一生このままなのか

と、かなり悲しい気持ちになったのですが。

結論から言うと、

全くそんなことはありませんでした。

心理療法には、色んな方法があります。

私が現在学んでいる通信制大学心理学科の、
2日間の心理学の講義で習ったものだけでも、

  1. ・精神分析
  2. ・来談者中心療法
  3. ・認知療法
  4. ・行動療法

といった、

4つの代表的な心理療法がありました。

何か1つの心理療法が合わなかったのなら、
違う療法を試せばいいのです。

それこそ、人の心は多種多様なのですから、
薬の処方と同じように心理療法も、
クライアントの様子をみながら、
合うものを探していけばいいのです。

そして、やはり、
臨床心理学を学ぶ中で見つけた、
心理療法を行う上で、とても大切なこと。

・相手に「害を与えていないか」と、いうことを忘れずに省みたい。

・心理療法の根本原則として「害を与えないこと第一なり」

この言葉は、
こちらの本から引用させていただきました。


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心理療法の効果がないのなら、
また0から始めればいいけれど。

その心理療法が害となってしまったら、
マイナスから始めることになってしまう。
(私はこれを心理セラピーの2次被害と呼んでいます)

そして、もしかしたら、
その心理療法がトラウマになって、
そのクライアントはもう、
心理療法を受けることが、
出来なくなるかもしれない。

そうしたら、
そのクライアントのこれから先の人生は、
マイナスのまま、
生きていかなければならなくなってしまう。

幸せになりたいと思って受けた心理療法で、
そんな風になってしまったら、
それは本当に悲しいこと。

だから心理療法の2次被害を防ぐためにも。

1つの心理療法だけにこだわる必要はない。

ということを、セラピストもクライアントも、
覚えていて欲しいと思います。