発達障害(ASD)グレーゾーン

発達障害グレーゾーンが社会で生きるための必須条件は『仕事の能力』

私の部下の男の子は、
上司から発達障害だと思われています。

けれど、心理的ストレスに弱い彼は、
不眠症の為に、
病院から睡眠薬を処方されてはいるものの、
発達障害の診断を受けた、
という話は聞きません。
彼と会話をしていると、
発達障害という言葉さえ、
彼は知らないのではないかと思います。

対して、上司から、
発達障害だと思われていない私は、
自分を発達障害ではないかと疑い、
田中ビネー知能検査の結果、
本当にギリギリの境界線で
発達障害に認定される領域の人間でした。

なぜ、自分を発達障害ではないかと疑った、
発達障害グレーゾーンの私が、
定型発達者だと思われ、
発達障害という言葉さえ知らないであろう、
不眠症を患っている彼が、
発達障害だと思われるのか?

それは、社会人という立場上、

「仕事が出来るかどうかで相手の能力を判断するから」

なのではないかと、
職場の上司を見ていて思いました。

私は発達障害の中の、
今は自閉症スペクトラム症に統一された、
”アスペルガー症候群”に、
分類される人間なのですが、
脳機能に偏りがあるだけで、
知能自体に問題はありません。

ただ、アスペルガー症候群の、
3つ組の特性と言われる、

  • コミュニケーションの特性
    (人の意見を聞かない、話し方がぎこちない、など)
  • 社会性の特性
    (失礼な言動をする、他人に共感しない、など)
  • 想像力の特性
    (興味が偏っている、決まりを頑なに守る、など)

という特性を抱えている為、
人と上手く関わることが出来ないという、
特徴があります。

なので、
社会性のスキルがあまり必要でない、
知識に重点を置く、
専門性を必要とされる職場ならば、

「あいつは性格に難があるけれど仕事は出来る」

という、今の私のような、
評価を受けるようになるのだと思います。

私は自分が20代の頃に、
ドナ・ウィリアムズの

「自閉症だったわたしへ」

という本を読み、


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涙がとまらない程に共感できた為、
自分も自閉症ではないかと、
疑ったのですが、
それからしばらくして、
今の会社に入社した時には、
自分が自閉症に関連する障害に、
本当に該当する人間だとは、
思っていませんでした。

だからこそ選べた、
総合職での入社だったのですが、
でもそこで、
何の特技もなく入社した私が、
法律に基づく、
専門知識が必要な部署に配属されたのは、
本当に幸運でした。

「言われたことはきっちりやらなければならない」

というアスペルガーの性質が、
上手く嵌った職場だったのです。

皆んながお喋りをしている中でも、
1人黙々と、
業務に関する法律書を読み耽っていた私は、
当然、仕事に対する知識量が、
職場の中でも高くなり、
職場に友人と呼べる人間はいないながらも、
仕事が出来る存在として、
一目置いてもらえるようになりました。

会社という組織は、

役に立つ力を示せば、
居場所を与えてくれるところ

だったのです。

けれど、
仕事をこなす能力を、
認めてもらえるようになった私は、
アスペルガー症候群の特性のために、
無意識に、人に対して、
失礼な言動をとってしまうところを、

「わざと人に対して嫌な言動をとる人間」

と周囲の人達に、
思われるようになってしまいました。

仕事をこなす能力が人並みにあったため、
私が人の気持ちを察する能力が、
標準より劣っている事など、
周囲の誰も、気付いてはいなかったのです。

だから、
通常察せられる人の気持ちに気付かず、
無視する私は、
冷徹な人間と思われていたようでした。

上司から「鉄の女」と呼ばれたこともあります。

それでも、男性の多い職場では、
性格より、
能力が重んじられた為、
職場で苛められるようなことは、
ありませんでした。

けれどその後、
女性の多い職場に転勤してから、
私の受難は始まりました。

私の職場の女性達は、
仕事でも理性より感情を重んじる人が多く、
気分に任せた彼女達の言い分に、
共感しない私の論理的な言葉は、
彼女達を不快にさせ、
苛立たせたようでした。

私は彼女達に喧嘩を売ろうとも、
敵対しようとも思っておらず、
ただ単に、

「法律や規則に基づいた正しい意見を述べる」

という事を実行しただけだったのですが、
それが気に入らなかった女性達から、
無視されるといった、
苛めを受けるようになりました。

もし、私が、
発達障害グレーゾーンの人間なのだと、
周囲の人が思うような人間だったら、
このような状況も、
違っていたのかもしれません。

でも職場では、
その人の能力は仕事の能力でみられます。

だから職場に、
発達障害グレーゾーンだと打ち明けていない、
普通に仕事がこなせる私は、ずっと

「わざと人に対して嫌な言動をとる人間」

と、周囲の人間に、
思われたままなのだと思います。

けれど、部下の男の子は違います。

彼は、その年齢に見合わない、
仕事の出来なさぶりから、

「彼はどこかおかしい」

と周囲の人間が感じているため、
馬鹿にされる事はあるものの、
積極的な苛めの対象にはなりません。

発達障害という言葉を知らない人達も、
彼がわざと人に対して、
嫌な言動をとっていない事が、
彼の普段の仕事の出来なさぶりから、
周囲の人達に伝わるからです。

もしかしたら、部下の男の子は、
発達障害の診断を受けていなくても、
私よりも強度の、
発達障害者なのかもしれません。

でも今の私には、
”わざと人に嫌な言動をとると思われている私”
と、
”わざとではないけれど人を苛つかせていることに気付かない彼”
の、
どっちが幸せなのかと問われたら、
自分の特性を、仕方なくでも、
周囲に受け入れてもらっている彼の方が、
周囲の人間に特性を知られずに、
嫌われている私よりも、
幸せなんじゃないか、と思ってしまします。

でもそれは、
周囲の人に譲ってもらった、
与えられた幸せ。

周囲の人が自分に、
優しくしてくれなくなったら、
あっという間に崩壊してしまう、
脆い幸せなのではないか、
と思います。

だから私は、やはり、
自分で自分を幸せに出来る人間で、
ありたいです。

発達障害の改、
善策や克服法を実践するのは、
自分の今までの生き方と違う分、
苦しく感じることもあります。

でも、少しずつ、
成果も見えだしている今。

自分が幸せに向かって、
確実に前進しているのだと、
この先の明るい未来を、
信じることが出来るのです。