愛着障害がなぜ起こるのか。
それは2歳くらいまでに、
いざという時に守ってもらえる、
心の支えになると信じられる、
そんな関係を、
誰か(通常は母親)と結べなかったから、
と本には書いてありました。
(あくまで私なりの理解です)
それを「心の安全基地」と呼ぶのだそう。
私には、この安全基地がなかったのだと、
愛着障害という言葉を、
初めて知った時に思いました。
それは、私が幼い頃に、
父が家庭内で暴力を振るっていたことや、
母親に理解されないことで、
苦しんだことなど、
色々な理由が重なったことで、
小学校低学年の時に、
私が自分の家族に対して、
「この人達は敵だ」
と決めた過去が、きっと関係していて。
私は、愛情を、
ちゃんと受け取れない子ども時代を、
過ごしてきたんだって思うと、
とっても悲しくて、
涙が流れて止まりませんでした。
でも、そんな風に思いっきり悲しんだ後に、
フッと私の頭を、
ある考えがよぎったのです。
「それってほんとう??」
って。
確かに私の父は気性が激しくて、
自分中心の人で、
家族を持つには不向きな人だったと、
今でも思うのだけど。
でも、母は?
母も気の強い人ではあったけれど、
とても一生懸命、
私を育ててくれました。
もう、ほんとうに、
小さな子どもの頃の思い出は、
幸せなものしか出てこないほど。
その幸せな思い出は、
子どもだった自分の瞳が映す、
知らないものだらけの不思議な世界。
それをただ眺めているだけで、
私はワクワクしてたまらなくて。
そして、そんな未知の世界を、
めいいっぱい探検して私が帰ってくる場所は、
決まって母の膝の上、だったのです。
もしかしたら、私の小さな子ども時代は。
他の人から見たら、
母親に放ったらかしにされて、
構ってもらえない、
可哀想な子どもに、
映ってしまうのかもしれません。
でも、アスペルガー気質の強い私は、
放っておいてもらえることで、
自分の世界に没頭出来ることが、
とてもとても幸せに感じていました。
ほんとうに、
人の感じる幸せって人それぞれで。
他の人のモノサシでは測れないのだと、
改めて感じたのでした。