幸せになる方法

職場の失敗で落ち込んだ私の心が回復出来た理由

心の回復

私は朝、テレビをつけません。

朝からたくさんの情報に触れるのが、
苦手だからです。

自分が必要だと思う情報にだけ、
触れたいので、
その日の天気などは、
iPhoneのSiriに教えてもらいます。

だから、スマホだけは見るのですが、
昨日の朝は、
スマホに防災速報が表示されていて、
地震があったことを知りました。

「福島県で震度5弱の地震、津波警報発表中」

その表示を見て、
私はうわっ大変だ、と思って、
福島にはうちの会社の支社があるし、
早く出勤した方がいいかな?
と思ったのですが、
私が住んでいる大分からはかなり遠いので、
うちの営業所が、
その支社のフォローにまわることは、
無いと思ったこと、
私の勤める営業所が、
熊本地震の被害にあった時に、
私の知っている、
近隣の支社に勤務する同僚は皆んな、
通常出勤していたことを考えて、
私は自分が早く出勤する必要はないと判断し、
いつもと同じ時間に出勤したのですが…

上司から、怒られてしまいました。

「危機管理能力がなってない」って。

特に私個人に向けて、
言われた訳ではないのですが、
役職についている人間で、
(私は職場で係長をしています)
通常通りに出勤したのは、
私だけだったことと、
出勤した途端に、
上司からかけられた言葉が、
とても厳しかったために、
私に対して怒っているのだろうと、
私は感じて…
とても、とても落ち込みました。

早く出勤する必要はないという決断は、
すごく色んなことを考え合わせて、
出した結論だったから。

あぁ、また私ひとり、
皆んなと考え方が違ったのだなぁと思うと、
悲しくてたまりませんでした。

そして、こんな風に思ってしまったのです。

「私が発達障害だからだ」

って。

皆んなが当然のように、
分かって出来ることが私だけ出来ないのは、
思考言動のパターンが、
皆んなと違うからなんだ、って。

毎朝、皆んなが、
平気で観られるテレビのニュースを、
私は観ることが出来ません。

1人静かな時間を持てないと、
私はイライラしてしまうのです。

だから、絶えず、
テレビがついている今の職場は、
私にとってかなりなストレス。

たまにテレビが消えていると、
心の底からホッとします。

でも、事務所で絶えず、
テレビがついているのは、
上司の方針なので、
私の神経がイライラするからといって、
勝手に消すことは出来ません。

上司にはニュースを聞き流して、
大事な情報だけ拾い上げることは、
簡単に出来てしまうから、
ニュースが流され続けていると、
情報が過多に入り過ぎて辛い、
という私の気持ちは伝わりません。

そして、私のこの気持ちに、
賛同してくれる人は、
今の営業所に1人もいなくて。

上司に怒られたことがキッカケで、
私は自分の性質が、
今の職場に向いていないと感じて、
どうしたら、
上司の指導と自分の性質が、
折り合いをつけられるのかが分からなくて、
思い切って、
インターネットで知った、
発達障害支援センターに、
相談の電話をかけてみました。

人が普通に出来ることが、
自分には苦痛なことを、
見ず知らずの人に話すのは、
自分がすごくダメな人間な気がして、
かなり勇気が必要だったのですが、
自分1人では、
上司の指導を、
上手くこなす術が見つけられなくて、
自分のような人間と、
たくさん接している人達なら、
何か良い方法を、
知っているんじゃないかと思って、
自分の状況を聞かれるままに話しました。

でも、そこで教えられたのは、

大人の発達障害の診断がつく病院の連絡先

でした…

病院でちゃんとした診断を受けていない私は、まず病院で発達障害と認めてもらえなければ、公的に助けてはもらえないのだ

そう、はっきり実感した瞬間でした。

今とっても苦しくて、
悩んでいる私が欲しかったのは、
診断ではなくて、
社会の中で上手に生きていく方法、
だったのですが、
それは診断を受けた人だけが、
教えてもらえるものみたいでした。

そして。

病院に抵抗のある私は、
やっぱり自分で、
何とかしなければならないんだなぁ、
と。

改めて、思いました。

私が病院で、
発達障害の診断を受けるのが怖いのは。

病院で診断を受けて、
「発達障害」と認められたら、
もう前に進む勇気が、
無くなってしまいそうに感じるから。

今まで頑張ってきた、
緊張の糸がプツンと切れて、
「発達障害」という、
言葉の悲しみに浸ってしまって、
立ち上がれなくなってしまいそうだから。

なんだかんだ言って私は、
発達障害と言われる性質までを含めた、
自分が好きで、
自分のことが好きな気持ちが、
心の奥底にあるからこそ、
今まで自分を否定されるような、
辛いことがあっても頑張ってこれて、
その自分の好きな性質を、
病院の診断で障害だと言われてしまったら、
自分が頑張ってこれた気持ちの根幹が、
崩れてしまうような気がしてしまうのです。

でも、ここまで書いていて、気づいたこと。

こんな私のことを好きなのは、
決して私だけではないということ。

先週の土曜日に会ったブロ友さん。

もう、長いお付き合いの方で。

お会いしたのは数回だけど、
とても楽しくお話し出来て。

お別れの時には、
ハグまでおねだり出来ちゃうほど、
とっても一緒にいて居心地のよい、
雰囲気をまとっている方。

私、こんな素敵な人に、
好きでいてもらえる。

他にも、このブログを通じて繋がって、
とても好きだと思える、
思ってくれる人がいる。

上司の言葉1つで、
ここまで心が揺れてしまったけれど、
今の職場に私は合っていなくて、
あまり必要とされていないのだけど、
世界中のどこにも、
居場所がないわけじゃない。

だから、大丈夫。

また今回と、
同じことが起こったとしたら、
皆んなと同じ判断は出来ないけれど、
知識として、
皆んなと同じ行動をとることは出来るから。

当たり前な反応を自然に出来ないなら、
当たり前な反応を覚えればいいだけ。

子どもの頃からずっと、やってきたこと。

それをやり過ぎて、
私は自分を見失ってしまったけれど。

今はちゃんと、
自分のことを好きだと思う気持ちと、
好きだと思ってくれる人がいるから。

だから、大丈夫。

発達障害を理由に、
傷ついた自分の気持ちを守らなくても、
皆んなに合わせて、
自分の気持ちを隠していたとしても、
ブログという場所に、
私が私でいられる場所があるから。

私は、発達障害を理由に、
自分を守らなくてもいいのだと。

私のブログを読んでくれる、
皆さんのおかげで、思うことが出来ました。

ありのままの私を見てくれて、
ほんとうに、ありがとうございます。