社会との関わり方

友達の言葉と魂カウンセラーさんの本

和解する女性

先週の土曜日に、
私の好きな魂カウンセラーさんの、
2冊目の本を友人にプレゼントしました。

友人はスピリチュアルなことが、
好きではないのですが、
この魂カウンセラーさんのことは、
とても好きでいてくれます。

私は、本を渡すために、
久しぶりに会った友人に近況を聞かれたので、

  • 自分がアスペルガーだと言われたこと
  • サイコセラピーの講座で私は全然出来ていないと言われたこと

を告げると、
友人は何故か怒りだし、
私は意味が分からなくて、
何で怒っているのか友人に訊ねました。

「だって、
私の大事に思っているじゅんさんに、
障害って言ったり、
出来てないなんていう言い方は失礼すぎる」

そう言ってくれた、
私のことを大事に思ってくれている、
友人の気持ちがとても嬉しくて、
でも多少の誤解があるようだったので、
私はその2つの言葉の真意を、
友人に伝えました。

  • 私は自分がアスペルガーという、発達障害だと言われて、今感じている生きづらさの理由が分かり、対処方法を教わることが出来て、嬉しく思っていること
  • 私がサイコセラピー講座で全然出来ていないと言われたのは、父親からかなり酷い扱いを受けていたのに、私が父親に対して怒りを感じていなかったからだということ

それで友人は納得して、
怒りを収めてくれると思ったのですが、
私の言葉を聞いた後に、
発せられた友人の言葉に、
逆に私の方がハッとしてしまいました。

「でもじゅんさんは、
揉めた部下との問題を
自分で解決したんでしょう?」

私は以前から、
自分がアスペルガーではないかと疑ったり、
自分の無意識の中にはまだ、
トラウマがあると感じたりはしていたのですが、
アスペルガーセッションや、
サイコセラピーの講座を受けようと思った、
直接のキッカケは、
職場の部下と揉めて、
眠れないくらいの辛い体験をしたからでした。

「こんなに何度も、
人と揉めることを繰り返すのは、
私に人として何かダメな部分が、
あるからではないだろうか?」

そう自分で考えて、
アスペルガーセッションも、
サイコセラピー講座も申し込んだのですが、
でも、どちらも受けることが出来たのは、
部下と揉めた2ヶ月後で、
その頃には私は、
自分の心持ちと態度を変えることで、
部下との仲を修復することが出来ていました。

「そうだ、私はちゃんと、
自分のチカラと自分のやり方で、
あんなに苦しんだ問題と向き合って、
解決することが出来ていたんだ」

そんな、冷静に思い返したら、
とても誇らしいと思える自分のことを、

「私は自分がアスペルガーだから、
人とうまく関われないんだ」

「サイコセラピー講座で、
セラピストさんの期待通りに出来ない私は、
ダメな奴だ」

などとセラピストさんの前で縮こまって、
自分を矮小化して、
卑下してしまっている自分の考えこそが、
アスペルガーであることよりも、
セラピーがちゃんと出来ていないことよりも、
何よりも私のダメな部分なのだと思いました。

そのことに気付かせてくれた、
友人の言葉は、
本当にありがたくて、
そんな風に私に気づきを与えてくれるのは、
友人が紛れもなく、

「私を大切に思ってくれているから」

なのだの思いました。

本当は、私が自分で、
私にしてあげなければいけないことなのに、
いつもこうやって、
周りの人に助けられて、
気付かさせてもらっています。

そんな存在に助けられて、
迷ってブレブレでも、
またちゃんと自分の軸に、
戻ってくることが出来ています。

私はただ、私で在りたいという、
その願いの中心に。

そんなことを考えていたら、
私が好きな魂カウンセラーさんのブログに、
障害や自閉症という言葉を見つけて、
ドキッとしました。

昔は今よりも、
アスペルガーでも、
過ごしやすかったような気がします。

それは、私が、
子供だったからかもしれないけれど、
皆んなと違うからといって、
今みたいに極端に仲間外れになどせず、
なんだかんだ言いながらも、
皆んなが少し皆んなと違う私を、
受け入れてくれる心のゆとりが、
あったからだと思うのです。

だから子供の頃は、
皆んなと違う理由を探して、
病名をつける必要が、
なかったのかもしれません。

その魂カウンセラーさんの、
ブログを読んでいたら、
子供の頃の、
皆んなと遊んでいた記憶が蘇ってきて、
子供の頃の私は、
やっぱりちょっと変わっていたけれど、
それはそれで、
受け入れてもらえていたのだと、
涙が出てしまうくらい、
感謝の気持ちがわいてきました。