発達障害(ASD)グレーゾーン

初めて大人の発達障害診断の為に精神科を受診した私の顛末

とてもハードルが高かった精神科受診

小学生の頃からずっと、
私は生き辛さを抱えて生きてきました。

みんなと同じことが出来ない私に、
母から、

「どうしてお前は、
人と同じことができないんだろうね」

と、悲しそうに言われ、
とても傷ついた小学校低学年の頃。

「私はどうして、
人と同じことが出来ないんだろう」

どんなに頑張っても、
他の子と同じように振る舞えない自分を、
どこか頭がおかしいんじゃないかと、
自分を責めながら、
小学校のトイレの中に籠って、
一人で泣いていたこともありました。

学校の勉強は、
他の子よりよく出来る方だった私に、

「勉強だけ出来たってしょうがないんだよ」

と母が、
吐き捨てるように言ってきたため、
母のことが大好きで、
これ以上、
母に嫌われたくなかった私は、
他の子と同じように、
振舞うことは出来ないけれど、
勉強が出来ることが母の気に障るなら、
せめて勉強が出来ない子になろうと、
勉強をしないようになりました。

けれど、
勉強が出来なくなることで、
母のご機嫌を取ろうとした、
私の目論見は、
見事に外れてしまいました。

学校の成績が下がった私に対して、
今度は母から、

「勉強も出来ないなんて」

と忌々しそうに、
言われてしまったからです。

母に言われた通りにとった行動で、
また母を怒らせてしまった。

その事実に私は混乱し、
母の言葉の通りに行動しても、
母の機嫌を損ねてしまうのなら、
もう、
どうしたら母に好かれるのか、
分からなくなってしまった私は、
自分が何をしても、
母に嫌われるのだと感じ、
母に好かれることを、
諦めた子供になりました。

そんな過去を持っていたため、
40歳を過ぎて、

「発達障害」

という言葉を知った私は、
自分が普通に振舞えなかった理由が、
自分の頭がおかしかった訳ではなく、
障害だったからなのだと思い、
とても救われた気持ちになったのですが、
それでも、
自分が発達障害か知るために、
精神科を受診するという行為は、
私にとって、
とてもハードルの高いものでした。

それは以前、
心が追い詰められて、
私が精神科に入院したことがあった時に、
退院してきた私に対して、
父親が私の目の前で私を指差し、

「こいつはキチガイの病院に入院した」

と、せせら笑いながら、
言ってきたことが、
何度かあったからでした。

自分が、
父親から愛されていないことは、
分かっていましたが、
精神的に弱って、
入院までした相手に対して、
こんな追い打ちをかけるような態度が、
取れるものなのかと、
自分の父親の人間性の醜悪さに、
ゾッとしたものでした。

この出来事は、
私の人生における新たなトラウマとなり、
ただでさえ人の偏見を恐れて、
ハードルが高くなる精神科受診を、
さらに困難にさせてしまっていました。

そのため、
病院にかかる勇気のなかった私は、
こっそりインターネットの無料診断で、
自分の発達障害の状況を、
知ろうとしました。

診断内容は次のように書かれていました。

現在に至るまでの悩みや苦しみ、問題のほぼ全ては、
アスペルガーを中心とした発達障害の症状として説明出来ます。
発達障害の改善に取り組んで、症状が改善されたら、
天才的な能力、発達障害特有の優しさや魅力を発揮します。

診断結果に書かれていた、
その言葉は、
とても激しく、
私の心を揺さぶりました。

ずっと、
人と同じことが出来ない、
劣等感を抱えてきた私が、
人と同じことが出来ない能力を、
持つがゆえに出来ることがある。

それは人生の大半を、
普通に過ごすことが出来ない自分に、
劣等感を抱えて生きてきた私にとって、
夢のような話でした。

そしてその言葉に、
一縷の希望を見出した私は、
病院の診断を待たずして、
発達障害の改善のために、
発達障害専門カウンセラーのところに、
2016年10月から、
通いだしたのでした。

それでも私に精神科受診を決意させた出来事

私が発達障害に関して、
病院の診断を受けるのに、
消極的だった理由は、
父親からのトラウマ以外にも、
もう一つありました。

それはその当時から現在まで、
私はある会社で、
管理職として働いており、
少ないながらも、
部下がいて人を指導する立場のため、
自分がもし、
病院から正式に、
発達障害だと診断を受けた場合、
会社内での自分の立場を、
悪くすることはあっても、
その診断が自分に役立つ理由など、
全く思いもつかなかったからでした。

そのため私は、
病院を受診せずに、
発達障害専門カウンセラーに通うことで、
自分の発達障害を改善していこう、
と考えたのでした。


しかし。

私のその決心は、
すぐに覆されることになりました。

私が自分で、
発達障害を改善しようと決意し、
発達障害専門カウンセラーに通いだした翌月、
2017年11月のこと。

部下の間違いを見つけた私が、
その部下に、
間違いを訂正するように依頼したところ、
プライドが高く、
気が強かったその部下は、
自分の間違いを認めずに、
上司である、
私の指示を聞かないという状況が、
職場で起こりました。

そのため困った私は、
信頼していた上司に相談したのですが、
その時、
予想外の言葉が、
上司から返ってきたのです。

それは…

「間違いを指摘するあなたがおかしい」

という言葉でした。

以前からその上司は、
私の指示を聞かなかった、
その気の強い部下のことを、

「扱いの難しい人だから」

といい、
なるべくその部下の機嫌をとって、
接していましたが、
今回私が見つけたその部下の間違いは、
些細なものなので、
その部下を怒らせてまで、
訂正する必要はないというのが、
上司の言い分でした。

その言葉で、私の心は決壊しました。

私はそれまで、
発達障害(ASD/アスペルガー症候群)の特性のせいか、
人の気付かないことに気付きやすく、
また融通も利かなかったため、
よく人の間違いを指摘して、
周囲から、
煙たがられることの多い人間でした。

そのことで会社で苛められたり、
無視されたりすることも、
多かったのですが、
それでも私が、
何とか頑張ってこれたのは、
真面目に一生懸命働いている、
私のそんな仕事ぶりを、
認めてくれる人もいる、
そのことが、
私の心の支えに、
なっていたからでした。

それなのに、
真面目にきちんと働くことさえ、
非難されてしまったため、
もう私は、
自分の心を支えるものが、
無くなってしまったのです。

私は上司の言葉に耐えられず、
数少ない、
悩みを話せる、
職場の先輩に相談したところ、
私のことがおかしいと言った、
その上司の方が、
おかしいと言ってもらえ、
私の心はなんとか、
安定を取り戻したものの、
私にはやはりまだ、
心の中にわだかまりがありました。

私が正しいことを行うと、
なぜこんなに軋轢が生まれるのか

私からの相談を受け、
頑張れと言ってくれた先輩が、
私と同じことを言ったなら、
きっとその上司は、
私に言ったような言葉を言わないことは、
私にも経験上分っていました。

他の人と同じことを言っても、
私だと揉めるということが
私の人生の中で度々起こるのです。

私が発達障害グレーゾーンなのが、
関係しているのか、
関係しているならば、
どうすればいいのか、
人と揉めることに、
ほとほと嫌気がさしていた私は、
この出来事がきっかけとなり、
良い方法があるなら、
教えて欲しいという気持ちで、
あんなに躊躇していた、
精神科受診を決意したのでした。

初めて大人の発達障害診断の為に精神科を受診した結果

大人の発達障害を診断出来る病院を、
発達障害専門カウンセラーに、
紹介してもらった私は、
意を決して、
その病院に予約の電話をいれ、
2017年2月にようやく、
受診することが出来ました。

始めてお会いする医師に、

「自分が発達障害か教えて欲しい」

と私が訴えると、
医師は私の成育歴を、
細かく聞き取りで、
確認していきました。

生まれてから、
現在までの出来事を話していくと、
全てを聞き終わった医師は、

「確かに発達障害、
現在は自閉症スペクトラムと言っていますが、
いわゆるアスペルガーの、
グレーゾーンだと思います」

と言われました。

そして、こう続けられました。

「発達障害は、
脳機能の障害と言われていますが、
原因は分っていないので、
治療する方法はありません」

「あなたより大変な、
アスペルガーの方は大勢いらっしゃいます」

そう言われて、
医師の診察を受ける前から、
発達障害専門カウンセラーのところに、
通っていた私は、
特になんの指導をされることもなく、
帰ってきました。

辛くても苦しくても、
何とか社会で生きられる、
発達障害者支援法の対象者ではない、
発達障害グレーゾーンは、
誰も助けてはくれない。

自分の悩みに夢中で、
そんな簡単なことに、
私は気付くことが出来ませんでした。

あんなに意を決して、
実行した精神科受診でしたが、

「あなたは確かに、
発達障害グレーゾーンですよ」

という言葉を、
医師からもらっただけで、
何の解決もしないまま、
私の初めての、
大人の発達障害診断のための、
精神科受診は、
あっさりと、
終わってしまったのでした。

きっと、、、

私の心の中には、
医師から、
発達障害の診断をもらったら、
3か月前に、
上司との間で起こったような、
辛いやり取りの何もかもを、
発達障害の所為にしてしまえると、
甘える気持ちが、
あったのだと思います。

信頼していた上司の一言で、
折れてしまった、
仕事を頑張る自分の心を、
人生が上手くいかないのは、
発達障害のせいだと、
医師に言ってもらうことで、
再び、
生きづらい人生に立ち向かう力に、
したかった気持ちも、
あったのだと思います。

でも、結局。

あんなに意を決して、
精神科を受診しても、
発達障害のグレーゾーンである、
私の現状や心に、
医師が寄り添ってくれることは、
無かったのでした。