幸せになる方法

ASDの私が転勤の挨拶が苦手だった理由

転勤する女性

今回の転勤で、
今の会社に就職してから、
7回目の転勤になります。

その転勤で、
胃が痛くなるくらい苦手にしていることが、

転勤のご挨拶まわり

だと以前の記事に書いたのですが。

私は今回の転勤の挨拶まわりで、
気がついたことがありました。

それは…

今回の転勤の挨拶まわりでは、
嫌な思いをすることが、
1回も無かった

ということ。

今回転勤した支社は、

以前にも働いたことのある支社で、
前回転勤の挨拶まわりをした時には、
挨拶をした相手の方から、
素っ気ない態度を取られたり、
そもそも相手にされないことも多くて、

挨拶まわりなんて、
しなければ良かった

と悲しく思うことが、
何回もあったのですが。

今回、挨拶に回った時には、
そんな態度を取られることは、
1度もありませんでした。

そのため、
その違いは何か、
自分で考えてみたのですが…

今回の挨拶まわりでは、
私にはお別れの挨拶をしたいほど、
親しく関わった人が居た

ということが、
一番大きな違いだったと思いました。

談笑する女性
どういうことか、分かりにくいでしょうか?

前回の転勤で挨拶まわりをした時の私は、

転勤する時には挨拶まわりをするものだから

という理由で挨拶まわりをしたため、
本当のところを言うと私には特に、

お別れの挨拶をしたい人などいませんでした。

それどころか。

この支社を出ていけることに、
私の心は清々していたのです。

以前、この支社にいた時の私は、
自分がASDであることも、
愛着障害であることも知らなかったため、
人と良好なコミュニケーションを取るには、
どのような言動が必要なのかを、
理解していませんでした。

そのために、

ASDの特性全開で、
人と関わる時間を無駄と考え、
そんな遊んでいる暇があるのなら、
もっと働かなければいけない

と、考えていました。

でも、
自分がASDであることを知り、
発達障害専門カウンセリングや、
アサーショントレーニングを受ける中で、
人との関わり方を学んだ私は、

仕事を円滑に進めるためには、
人とのコミュニケーションが必要

であることを知りました。

これって多分、
定型発達者の方にとっては、
当たり前の考え方なのかもしれないのですが。

ASDの私は、
相手に対する好悪の感情で、
仕事に手心を加えるような働き方を、
したことがなかった

ため、

相手に好印象を持たれることが、
仕事を円滑に進める上で大切だという考えを、
全く持っていなかった

のです。

だって、仕事なのだから。

嫌な相手でも、
やらなければいけないことはやるし、
好きな相手でも出来ないことは出来ない。

そこに個人の感情を挟むことは、
してはいけないのだと考えていました。

けれど、実際の会社という組織の中では。

仕事で関わる相手と、
良好な関係性を築いていると、
同じ仕事でも、
格段にやりやすくなる

ということが当たり前にあり。

それはエコ贔屓とかいうことではなく。

人間関係が出来ていることで、
相手が自分を思い遣ってくれる心遣いが、
仕事をやりやすくしてくれる

のだと知りました。

思い遣り

そんな、
多分定型発達者の方ならば、
当たり前に知っているであろうことを、
自分の中に無い思考だったため、

私は学んで会得したのでした。

そして今回の勤務では、
相手とのコミュニケーションを重視して、
仕事を進めていった結果。

私には転勤のご挨拶まわりをする、
色んな部署やお得意様の中に、
個別にお礼を言いたい相手が、
存在していたのです。

そのため。

前回の挨拶まわりでは、
お得意様全体や、
その部署に勤務する全員に向けて、
ご挨拶をしていたのだけれど。

今回のご挨拶まわりでは、
全体に挨拶をしながらも、
個別にお礼を言いたい相手へ、
思いを伝えていたのでした。

だから今回の挨拶まわりでは、
本当に私とのお別れを、
惜しんでくれる人達が、
挨拶に伺った場所にいてくれたため、
素っ気ない態度を取られることも、
相手にされないことも、
全く無かったのです。

私が挨拶まわりが苦手だったのは、

たいして親しくもない相手に対して、
やらなければいけないという義務感から、
挨拶を行っていたことが原因

でした。

考えてみれば。

普段、
コミュニケーションをとっていないのに、
転勤の挨拶にきたのだから、
別れを惜しんで欲しいなんて、
勝手極まりない考えですよね。

でも、ASDの私には、
その自分の勝手さが、
分かっていなかったのです。

人が転勤の挨拶にきたら、
例え親しくなくても、
別れを惜しむ風に応対するのが、
"社会の決まり"だと思っていたから。

これはきっと、
ASDの私が、
会社という社会に溶け込むために、
転勤の挨拶にきた人と、
その挨拶を受けた人との関係性を考えずに、
周囲の言動を真似て覚えたために、
起こった誤解。

そして、
その誤解に愛着障害が加わって、

私が挨拶に行っても相手にされない

という勝手な被害妄想を、

膨らませてしまったのだと思います。

今回、私は、
人とのコミュニケーションをちゃんと取るという、
当たり前の行動が出来て初めて、
自分の思考の誤りに気づくことが出来ました。

別れを惜しむ挨拶は、
別れを惜しむ相手だけとすればいい。

転勤する女性

たったそれだけのことに気付くのに、
16年ほどの時間をかけてしまったけれど。

私はもう、
転勤の挨拶が苦手だとは、
思わないと思います。