発達障害(ASD)グレーゾーン

”中高年の発達障害とは?”

カウンセリングを受ける中年女性

私は小学校の頃から集団生活に馴染めず、
学校側から問題児認定されていた子供でした。

そして、中学校でも担任の先生から、
変わっていると言われ続けましたが、
誰も私が発達障害なのだと、
気付いてくれる人はいませんでした。

私の精神科受診時の診断結果が知りたい方はこちらをご覧ください。

私は今40代ですが、
私が子供の頃には、
今のように発達障害という言葉は、
世間に浸透しておらず、
今の時代であれば発達障害と言われ、
養育を受けるような子供でも、
知能に遅れが無かった場合には、

「変わった子供」

という評価を受けるだけで、
特別な配慮などはされませんでした。

だから、そのまま大人になって、
人間関係が上手くいかなくなり、
2次障害を発症してから、
自分の生きづらさの原因が、
発達障害であったことに気付く、
私と同世代の中高年の方は、
多いのではないでしょうか?

そんな事を考えていた時に、
たまたま読んだ、
ご自分は定型発達者でありながら、
発達障害を学んでいる方の、
ブログ記事の終わりに、
こんな言葉が書いてありました。

「発達障害はこれから出来上がるものが、
成長過程で脳が出来上がらない状態」

この言葉に、
マルトリートメントを受けた子供の脳が、
物理的に傷付けられ、
萎縮してしまうという話を思い出しました。

【友田明美著 子どもの脳を傷つける親たち】


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私は自分の脳が、
もともと発達障害だったのではなく、
成長する過程で、
マルトリートメントを受けたために、
発達障害と呼ばれる状況に、
なったのではないか、
などと考えることがあります。

そして、
発達障害と愛着障害は、
症状がとてもよく似ているため、
専門家でも判別が難しいと言われることから、

「私は本当は愛着障害ではないのか?」

と考えることもあります。

今"マルトリートメントと私"
というタイトルで、
自分の過去を振り返った記事を、
書いているのは、
自分の生育歴を辿り直すことで、
自分が愛着障害なのか発達障害なのか、
ハッキリさせたい、
という思いがあったからでした。

発達障害は生来のもので治らなくても、
愛着障害は改善することが出来るから。

でも、
まだ途中ではあるけれども、
生まれてから中学生まで遡る中で、
やっぱり自分には、
発達障害の特性があるのだな、
と感じています。

そして私は、
そんな生きづらい特性を抱えながら、
精いっぱい生きてきた自分を、
とても愛おしく感じています。

だから、
自分が発達障害だからといって、
決して自分を卑下したい訳では無いのです。

そんな過去があるからこそ、
人の心の傷に共感出来る、
今の自分になれているのだから。

そんな思いを抱いていた私には、
そのブログの1番下に書かれていた言葉が、
とても心に響きました。

「人格は対等である」

定型発達者が上でもないし、
発達障害者が下な訳でもない。

人は、そんな大きな括りで分けられるほど、
単純なものではないから。

金子みすゞさんの詩のように、

「みんなちがって、みんないい」

定型発達者も発達障害者も、
お互いが歩み寄ることで、
そんな世界が創れていったらいいな、と。

自分の人生が、
発達障害で困っている訳ではない、
定型発達者が、
発達障害を真摯に学んでおられる、
そんなブログを読んで。

そんな世界も夢じゃないんじゃないかと、
思ったのでした。