回想録

私が実の父親から受けた"私は幸せになってはいけない"という呪いを解けた理由.2

両方大切

前回の記事、
私が実の父親から受けた"私は幸せになってはいけない"という呪いを解けた理由.1
の続きになります。
まだ1を読まれていない方は、1から読んでいただけたら嬉しいです。

家族の中の誰からも、

自分の存在を望まれていない

と感じた私は、

ここではない"自分の本当の居場所"

が欲しいと思うようになりました。

一般的に見れば、
私には帰る家があって家族がいましたが、

私は自分の存在を否定する人達を、
家族だと認定してはいませんでした。

その時の私は、

「HOUSE(家)ではなくHOME(家庭)が欲しい」

といつも切望していて、
自分の家族が住んでいる家以外の、
自分が安心して帰れる居場所を見つけようと、
必死になっていました。

夢見た家

中学生の時に、
自分のことが好きだという男の子が、
現れた時には、
その時の私が唯一出来た、
自分の体を差し出すという行為を行えば、

その子の一番大切な人間になれるんじゃないか

と思っていました。

けれど普通の家庭で育った、
普通の男子中学生だったその男の子は、
普段の友達との会話では、

「女子とやりたい」

などと言っていたにもかかわらず、
いざ私が自分の体を差し出そうとしても、
私に対して何も行いはしませんでした。

ここでは人の言葉をそのまま受け取るという、ASDの特性が出ていたと思います。

人生経験を重ねた今なら分かるのですが、
彼は本気で言っていたのではなく、
友達の手前大人ぶりたくて、
言っていただけだったのです。

田舎の中学生の素朴な男の子の言葉を、
額面通り受け取ってしまった私は、

誰かの一番大切な人

になりたくて、
非常に彼を困惑させる行動を、
とってしまいました。

それでも、その男の子は、
私が同じグループの女子から、

「中学生で両想いになるのは早い」

と言われて、
所属していた女子グループで、
仲間外れにされるのを恐れた私が、
その男の子を無視するようになるまで、
私に特別優しくしてくれていたのですが、
それは私の、
望んでいたものではありませんでした。

その男の子は【クラスの女子の中で】
私を一番大切にしてくれましたが、
私は【その人の家族を含めた誰よりも】
自分のことを一番大切にしてくれることを、
望んでいました。

小学校に入る前から、
家から出て行くことを望んでいた私にとって、
自分の存在を認めてくれない家族よりも、
自分を大切にしてくれる他人を優先することに、
何の躊躇もありませんでしたが、
その男の子にとっては、

好きな女の子と家族は、
天秤にかけられるものではありませんでした。

両方大切

その当時の私は、
家族を捨てられないくせに、
私のことを好きだというその男の子の、
愛情が中途半端だと感じていたのですが、
今振り返ってみると、

中学生の男の子に、
家族を取るか私を取るかという、
駆け落ち同然の気持ちを迫っていた私の方が、
おかしかったのですよね。

その男の子の後にも、
私のことを好きだと言ってくれる男の子は、
現れてくれたのですが、
その男の子も家族を大切にする子で、
決して私の望む一番は与えてくれませんでした。

そして、私は気付くのです。

私の望むものは、
家族と仲良く暮らしてきた、
幸せな人からは与えられないんだ

ということに。

それから私は。

自分と同じように家族に恵まれない、
孤独な人間を探し求めるようになりました。

自分と同じように、
一番大切な人を持たない人間からしか、
一番大切な人の座は与えられない

と考えたからでした。

大切な人がすでに存在している人間は、

大切な人の数を横並びで増やしていきますが、

大切な人が存在していなかった私は、

自分にとって大切な人は相手だけなのに、
相手にとって自分は、
たくさんいる大切な人の1人に過ぎないことが、
惨めでイヤ

だったのです。

この頃の私の心は、
愛着対象を求めて彷徨っている、
幼い子供のままでした。

私は家族からもらえなかった愛情を、
自分に好意を示してくれる、
男の人からもらうことで、
補おうとしていたのです。

私はただ愛されたかった。

けれど、この想いが。

自分の人生を大きく狂わせることになるとは、
思ってもみませんでした。

長くなったので、
私が実の父親から受けた"私は幸せになってはいけない"という呪いを解けた理由.3
に続きます。