今朝目を開けた時、
部屋の中のあまりの寒さに震えて、
私はこの部屋に引っ越してきてから、
初めて朝から暖房を入れました。
あぁ、もう冬になったんだなぁ…
初めて住む大分の、
冬の到来の早さに少し驚きながら、
私はちょっと厚めのコートをきて、
仕事に行くために家を出ました。
家の外では、
すっかり枯れてしまった道草の間を、
まだまだ薄着で、
元気いっぱいの子ども達が、
学校へと歩いていて、
「私も子どもの頃は友達と、
どちらが先に寒さに負けて上着を着るか、
競い合っていたなぁ」
なんて、
やせ我慢して風邪を引いて、
お母さんに怒られた子どもの頃を、
懐かしく思い出していました。
とっても幸せな、
なんてことはない、子どもの頃の思い出。
今の私には、
そんな心から屈託なく繋がり合える、
友達はいないけれど、
今思い返せば、
子どもの頃の私にはちゃんと、
そんな友達がいたのだと、
そんな風に思ったら、
自然に口元がほころんで、
ほっこり温かな気持ちになりました。
でも、そんな穏やかで、
優しい思い出に浸っていられたのは、
束の間のことで、
私は次の瞬間、
とても激しい感情に襲われたのです。
「私は悪くない!!悪いのはお父さんだ!!」
それは、私が小さい頃、
常にお父さんとお母さんが、
私のことで喧嘩していた時のこと。
「お前さえいなければ、うちは上手くいったのに」
諍い合う両親から、
避難するように離れた家の隅で、
1つ歳上の兄から、
憎々しげに言われた言葉。
小さな私はただ泣きながら、
人と変わっている、
自分の存在がいけないのだと、
罪悪感と共に、
その言葉を信じ込んでしまったけれど。
突然私を襲った思いは、
その兄の言葉を、
真っ向から否定していました。
私は確かに、
変わった子どもだったかも、
しれないけれど。
小さい頃の私は、
友達と一緒に、
普通に楽しく過ごせる子だった。
お父さんとお母さんが、
喧嘩する原因は、
私が変わった子どもだったから、
じゃなかった。
喧嘩の原因はいつも、
お父さんが私からご飯を取り上げて、
それを嫌だと泣く私に、
腹を立てて暴れるからだった。
お父さんは、
お兄ちゃんを大切にしていたから、
お兄ちゃんは、
ご飯を取られたことなどなかったけど。
もし自分が私と同じ立場で、
毎晩のように、
父親からご飯を取り上げられていたら、
それでも平気でいられた?
小学校に上がる前の娘から、
ご飯を取り上げる父親をみて、
本当に泣く私の方が悪いと思っていた?
違うよね。
お兄ちゃんは、
お父さんが自分より強くて、
文句が言えなかったから、
自分より弱い私を悪者にすることで、
自分の憂さを晴らしてたんだよね。
お兄ちゃんは、
お母さんを心配するふりをして、
喧嘩が始まったら、
友達のところに遊びに行ってたもんね。
本当にお母さんが心配だったら、
自分だけ安全な場所で、
遊んでるなんて出来ないよね。
次々と浮かんでくる、
「私が変わった子どもだったから、
お父さんとお母さんの喧嘩は絶えなかった」
という信念が、
間違いだったという真実。
兄が親思いだったという、
思い込みの間違い。
そして、私は最初は、
人と繋がることが出来ない人間ではなかった、
という事実…
私は本当は、
人と繋がることの幸せを知っているから、
こんなにもそれを、
望んでいるのかもしれない。
冬の寒さから、
流れるように浮かんできたこれらの思い。
いつの頃からか、
人と違うことで、
イジメられ続けた経験のせいで、
何かあると、
自分が悪いと思ってしまうクセが、
ついてしまっているけれど。
全部が全部、私が悪いわけじゃない。
まして、人と違うことが、
悪いことであるわけでもない。
子どもの頃のことだけど。
こんな理不尽な、
お父さんとお兄ちゃんの言動を、
ちゃんと怒ろう、
ちゃんと嫌おう。
その思いが、
正しいかどうかは問題ではなくて、
私がそう感じるという、
そのことが大事。
きっと、
素直な自分の感情を認めるところからが、
私の幸せへのスタート。