愛着障害

お母さん、ごめんね

表と裏の顔

もう6年くらい前のこと。

転勤先のお局さまに嫌われていた私は、
慣れない職場で無視されていて。

とても辛くて辛くて。

そんな時に、
スピリチュアルカウンセラーをしていた、
ある方のブログに出会って。

そのブログの内容に私の心はとても救われて、
その方とコンタクトを、
とってみたかった私は、
その方がアメブロでブログを書いていたため、
私もアメブロに登録をして、
メッセージを送りました。

その方は、突然の私のメッセージにも、
丁寧にお返事をくれて、
まだ何の記事も書いていなかった私のブログに、
読者登録してくれました。

その方のその行動は、
職場で無視をされ続けて、

「誰も自分の言葉なんて聞いてくれない」

と卑屈になっていた私の心に、

「私のことを気にかけてくれる人がいる」

という希望の明かりを灯してくれて、
その方のその行動で私は、

「ブログの世界でも誰にも相手にされないかもしれない」

という心の中の恐れと戦いながら、
自分の気持ちを一生懸命、
ブログに書き綴りました。

そうしたら、
私のことを応援してくれる人も、
出てきてくれて、
そのおかげで私は、
自分の心を強く持てるようになって、
最後にその職場を転勤で出ていく時に、
自分を無視していたお局さまが、
私に対してあえて嫌味で、

「大変ご迷惑をおかけしました」

と言ってきた時に、

「はい、大変迷惑しました」

と正面から言い返すことが、
出来るまでになりました。

私からそんな言葉が返されるとは、
思っていなかったであろうお局さまが、
私の言葉に目を向いて、
私を睨みつけた般若みたいな顔は、
一生忘れることはないと思います。

その時のブログは、
法的に訴えると言われる出来事が起こったため、
削除してしまったのですが、
その時もその方は、
自分のブログの内容が、
人と揉めることになると思っていなくて、
悩み苦しんでいた私に対して、
とても優しい言葉をかけてくださり、
私はとても救われたのでした。

その時には、私とブログで繋がってくれていた、たくさんの人が心配してくださりました。
とても心が救われました、ありがとうございました。

それから、その方は、
どんどん有名になっていって、
今では遠くから、
活躍を応援しているばかりになりましたが、
そんな、その方が今日、

「大人の発達障害 息子のこと」

というブログを書かれていて、
胸がいっぱいになってしまいました。

私は転勤先でことごとく、
お局さまと呼ばれる存在から嫌われて、
ブログでも人と揉めることが、
2回ほどあったために、

「私は何でこんなに人と揉めてしまうのだろう?」

と悩んだ末に、発達障害という言葉を知り、
昨日とうとう、
精神科の医師から検査結果に基づき正式に、

ASD(自閉症スペクトラム障害)の中の、
アスペルガー症候群と言われていたものに該当する。

という診断をいただきました

現在はアスペルガー症候群という診断名は使われなくなり、自閉症スペクトラム障害の中に含まれています。

私は発達障害の当事者の視点しか、
持っていなかったため、
その方のブログの、
発達障害の子供を持つお母さんの辛さに触れて、

「お母さん、ごめんね」

という気持ちで、
胸がいっぱいになってしまったのでした。

今のように、
発達障害という言葉が普通になり、
発達障害の子供が、
配慮されるようになった時代と違い、
私やその方の息子さんが子供の頃は、
子供の言動が、
一般的な子供と違っていて、
集団生活の規律が守れないでいると、

「お母さんの育て方が悪い」

と言われる時代でした。

その方も、
問題児のお母さんというレッテルが、
辛かったように、
きっと私のお母さんも、
他の子供と違う私のことが、
辛かったのだと思います。

私は昨日のブログで母親から、

「お前のことは理解出来ないから放っておく」

と言われたと書きましたが、
その言葉に私が、
もう自分が普通に出来なくても、
お母さんは悲しまなくなるのだ、
と思ってホッとして、

「ありがとう」

と返したら、
母親は私の言葉に更に怒り出しました。

今なら、母親は、
私に普通の子供になって欲しくて、
そう言ったら私が、
普通の言動がとれるような子供になる、
と思って、
言った言葉なのだろうと分かるのですが、
小学校3年生くらいの私は、
自分のことで手いっぱいで、
そこまで母親を思いやることは、
出来ませんでした。

その方のブログを読んで、

「親も苦しんだけれど、子供本人が苦しんだ」

の言葉に、涙が止まりませんでした。

私は自分が発達障害であるということは、
母親に対して言うことはありません。

現在82歳になる母に対して、
小学校3年生の私が友達に、

「私に普通を教えてください」

と頭を下げて教えを乞い、
それ以来、自分を殺して、
普通の子供の真似をして生きてきた、
と告白しても、
母親を悲しませるだけで、
得るものは何もないと思うからです。

私は母が、
安心したがっているのを知っていました。

だから、自分に出来うる限り精いっぱい、
母の望み通りに振る舞いました。

きっと母は、
発達障害であろう父の面倒を見るだけで、
いっぱいいっぱいだったのだと思います。

他のことにまで煩わされる余裕など、
無かったのでしょう。

完璧では無かったにしても、
普通の子供のように振る舞いだした私に、
母はどんどん安心していきました。

就職して数年した頃に、

「もうお前のことは大丈夫だと思ってる」

と面と向かって母親から言われた時に、
私は優しい笑顔で応じながら、

「何が?」

と思っていました。

その時の私は、
小学生の頃から自分を殺しすぎて、
体と心が分離してしまっていて、
自分が空腹だということさえ、
感じなくなっていて、
自分のお腹が鳴っていることにさえ、
気が付かなくなっていました。

私は母の前では、
母の望む良い子を演じながら、
その陰ではひたすら、
母に拒絶された本来の自分を取り戻そうと、
葛藤を続けていました。

私は表面上は、
良い娘を取り繕っているけれど、
母に見せている姿は、
本当の私ではありません。

お母さん、ごめんね。

あなたの望んだような、
娘に生まれてあげられなくて。

そのかわりと言ったらおかしいけれど、
あなたの望む娘を、
あなたの前では一生演じ続けるからね。

だから。

あなたが本当はもう一つ望んでいる、
家族としての心からの交流を、
してあげられないけれど、ごめんね。