兄との関係改善に着手しようと思った動機→コチラです。
就職してからの私は、
親戚達の中での評判が、
格段に良くなっていきました。
「じゅんが明るくなった」
と評価した親戚もいましたが、
それは私が明るくなったのではなく、
自立して家を出たことで、
が大きく影響していました。
親戚が明るくなったと評価した私の方が、
本来の私なのだと、
強く感じていました。
父親が短気で、
すぐに怒鳴って暴れる人間だということは、
親戚中みんな知っていましたが、
私が父親の性的興奮に使われていたことは、
誰も知ってはいませんでした。
少しずつ、取り戻してきた自分を、
評価してもらえることは、
私にとっても、
大変嬉しいことであり、
「私はこれでいいんだ」
と思う、自信にも繋がっていきました。
それでもまだ、
男尊女卑が強い家風の残る地域だったため、
長男である兄の、
親戚の中で占める優位は、
変わらなかったのですが。
そんな兄の優位を覆す、
大きな出来事が起きました。
それは2年前に父が亡くなった時のこと。
事務手続きに詳しい私が、
全ての役所等の手続きを担当し、
その手続きの中で役所側の間違いに気付き、
その点を役所側に指摘したところ、
"素人が何を言ってるんだ"
とばかりの態度で、
私の言うことに耳を貸そうともせず、
間違いなど無いと言い張った役所側に対し、
間違いを認めさせる行動を取ってから、
親戚達の中での私の株が急上昇しました。
そして、それに伴い、
じゅんが手続きをしたから、
その間違いに気付けて、
役所側に間違いを認めさせられたのであり、
兄がやっていたらこうはいかなかった。
という風潮が親戚の中で起き、
何も役に立たなかった兄への評価は、
一気に下がりました。
大変な時に頼りになるのは"長男"という、
幻想が崩れたのです。
私も自分が納得しないと、
周囲と揉めることになろうとも、
とことん突き詰めてしまう、
ASDの特性を持った私とは違い、
「長いものに巻かれてやり過ごす」
ことを、
処世術として生きてきたであろう兄は、
例え役所側が言うことに、
何かの違和感を感じたとしても、
「役所側がそう言うのだからそうなのだろう」
と、
アッサリ引き下がったと思うので、
親戚達のその認識は、
間違ってはいないと思うのですが。
長男だからと色んな期待をされる、
兄は大変だなぁと、
そんな親戚達を見ていて思いました。
そして、気がつくと。
父や母や私に対して、
あんなに不遜な態度を取っていた兄も、
だんだんと、
覇気が無くなっているように感じたのです。
そんな兄を見て。
以前の威張り散らしていた兄とは、
関係改善など考えてもいなかった私ですが、
現在の兄とならば、
コミュニケーションの改善を図ってもいいのではないか、
と私は考えました。
私の中での兄とのコミュニケーション改善は、
兄と心の壁を取り払って話すこと、でした。
ちなみに現在の私と兄は、
兄の息子【甥】を挟んでようやく会話が成り立つという、
熟年夫婦のような会話しか出来ていません。
だから今回、
私はある挑戦をしました。
兄と一緒に帰省してきた割と都会っ子の甥が、
ストーブというものにあまり馴染みが無いらしく、
ストーブの上のヤカンのお湯が沸いて、
カタカタ鳴った時に、
「これ、何の音!?」
と言って、
小学校3年生の甥は、
何の音か分からず怯えてしまい。

そんな甥に対して兄が、
「ヤカンの音やん。本当にKちゃん(甥の名前)はビビリだね」
と言った瞬間を狙って、
私は2人に対してこう言ったのです。
「お父さんもビビリだったからしょうがないね(笑)」
って。
これ、
殆ど会話らしい会話をしない兄妹であり、
以前は見下げられていた私にとって、
相手を茶化すという、
かなりなチャレンジ発言です。
私の言葉を聞いた甥は、
「父さんビビリなの??」
と驚いて聞いていました。
私はそんな甥に対し、
心の中でこんな風に答えていました。
はい。
キミのお父さんがビビリなのは本当です。
子供の頃、キミのお父さんは虫が怖くて、
本当は同じように虫が怖かった、
妹である私の背中にいち早く隠れ、
私を虫に対する盾に使った
紛れもないビビリ君です。
以前だったら、こんな私の発言に、
握り拳をつくり、
恫喝して怒ったであろう兄は、
少し笑って甥にこう答えていました。
「そう、お父さんビビリ」
そう言った兄の言葉を受けて、
私は甥にこう言いました。
「ビビリは遺伝だから仕方ないね(笑)」
あくまで冗談のように、
笑顔で言いながら。
私は兄と、私がイメージする、
普通の兄妹のような会話が出来たことに、
大変満足していました。
そして、ここまでが、
私と兄の現在の、
コミュニケーションの限界点だろうな、
と考えていました。
でも、私の軽口を兄が受け入れたことで、
兄に私を否定する気持ちは無くなったんだな、
と感じました。
それは幼少期に兄から、
と言われた私が、
40年以上をかけて手に入れた、
「兄からの存在の承認」
でした。