私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私43.母親から言われた言葉
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
「たった1人でいいから誰かに愛されたい」
という渇望を抱えていた私でしたが、
本当は自分のいう"誰か"が、
誰でも良い訳ではないことに、
気付いていました。
私は自分が小学校に上がる前の、
本当に自分を可愛がってくれて、
自分を守ってくれていたお母さんに、
もう一度、
愛してもらいたかったのでした。
けれど、
と言う母に、
もうそのような期待を持つことは、
出来ませんでした。
私は自分の求めるお母さんは、
どのような存在だろうと考えました。
自分のことを否定せず、
受け入れてくれる安心出来る存在。
それが、私が求める理想のお母さん像でした。
そのような存在がどこにいるだろうかと、
一生懸命に考えてみました。
けれど、
ASD(自閉スペクトラム症)の特性から、
小学校から問題児として扱われ、
担任の先生から無視される子供だった私に、
そんな存在は思い当たりませんでした。
それでも、きっと、
私の心は限界に達していたのだと思います。
幼い頃、誰も話す相手がいなくて、
「おばあちゃんの遺影」
に話しかけていたように、
私は人ではなくモノにまで、
母親の代わりになるものを求めました。
私は何と一緒にいたら、
安心していられるだろうか?
何かあったらすぐ家を出ていけるように、
愛着を持つようなモノを、
持たないようにしていた私にとって、
一緒にいたら安心出来る、
ライナスの毛布のようなものは、
ありませんでした。
安心毛布(あんしんもうふ、英: security blanket)とは、人が物などに執着している状態を指す。一般で言う「お気に入り」や「愛着」がこれにあたる。漫画『ピーナッツ』に登場するライナス・ヴァン・ペルトがいつも肌身離さず毛布を持っていることにより「ライナスの毛布」とも呼ばれる。
幼児は何かに執着することで安心感を得ている。成長するにつれ、幼児の時に執着していたものから離れていくが、大人になってからでも新たに執着することがある。子供がよく人形や玩具を離さずに持ち続ける様を「安心毛布」であると言える。以上、Wikipediaより引用
けれど、ただ単純に。
私は1人で、
自分の部屋で眠る時だけは、
ホッとして安心することが出来ました。
布団の中にいる時だけが、
私が生活している中で、
唯一心が休まる時でした。
そのため、私は自分のお母さんを、
"布団"に設定することに決めました。
布団の中の暖かさを、
お母さんが抱きしめてくれた手の、
温もりの中の暖かさだと、
頭の中でイメージしながら、
私は布団の中に潜りこんで、
「お母さん、あのね…」
と、
その日あった色んなことを、
布団の中で話すようになりました。
お母さんに見立てた布団は優しくて、
私はいっぱいお喋りしました。
その時の私の心は、
まるでマッチ売りの少女が、
幻影のおばあちゃんに会えた時のように、
幸せな気持ちに包まれていました。
でも、この幸せな気持ちは、
長くは続きませんでした。
布団の中で、
どんなに優しいお母さんをイメージしても、
現実の私の目の前には、
「お前はいずれ出て行く人間」
というお母さんがいて、
私はお母さんのこの言葉から刷り込まれた、
自分はこの家族に、
間借りしている人間だという気持ちを、
消すことは出来ませんでした。
私は自分が誰とも繋がっていない、
根無し草のような存在であることに、
とても心細さを感じていました。
この心細さは、
布団をお母さんに見立てて、
自分の心を慰めているだけでは、
解消することは出来ませんでした。
早く出ていく場所を見つけるしかないんだ。
お母さんから、
"出ていく人間"と言われることが、
悲しいと感じるのなら、
言われないように、
早くこの家を出て行こう。
元々、出て行こうと、
思っていた家なのだから。
私は優しく幸せな想像の世界を出て、
現実の居場所を探すことにしたのでした。
マルトリートメントと私45.生きていた私に続きます。