幸せになる方法

とっても幸せな1人で過ごす誕生日

1人の誕生日

自分で祝う自分の誕生日

昨日は私の誕生日でした。

何を食べようかと思ったのだけど、
残業続きだったから簡単に、
コンビニのお惣菜を買ってきて、
ちょっとだけお祝いに、
コンビニに売っていたワインを買って、
飲みました。

コンビニのワイン
(甘くなくてあまり飲めなかったです)

ワインを飲むなどという、
いつもと違うことをするだけで、
私の幸せ感は跳ね上がります。

私は誕生日を1人で過ごしているけれど、
安心出来る空間で、
自分が食べたいものを食べて、
飲みたいものを飲めることが幸せです。

でも以前の私は、
誕生日を人に祝ってもらうことに、
必死になっていました。

そこには多分、
自分の両親からでさえ、
自分の誕生日を忘れ去られていて、
子供の頃でさえ、
生まれたことを祝ってもらえなかった経験が、
影響していたのだと思います。

私は自分が生まれてきたことを、
誰かに祝福して欲しかったのです。

だから、誕生日は、
誰かに祝ってもらおうと、
とても必死でした。

以前は自分の両親との仲を改善しようと、
自分の誕生日には両親に対して、

「生んでくれて、育ててくれてありがとう」

などという電話をかけていましたが、
最初は私の言葉に感動してくれていた母も、
毎年続くと、

「じゅんの、いつもの電話」

といった応対で、

「はいはい、ありがとう。誕生日おめでとう」

といった義務的な言葉を返されるようになり、

父親に至っては、

「そうなの、あなた様は今日がお誕生日だったの?
それは、おめでとう。
で、あなた様は今日、いくつになったの?」

と、
私をバカにするような発言をしたため、
誕生日に両親に感謝を伝える習慣は、
辞めました。

自分は両親との仲の修復のために、
出来るだけのことはした。

自分の心の中で、
そう思えることが出来たから、
辞めることに後悔はありませんでした。

それからは、
自分の誕生日は少しだけ良いご飯を食べて、
自分が幸せだと思う、
1人の時間を過ごし方をしています。

今は自分で自分が生まれてきたことを、
肯定することが出来るから、
誰かに祝福されなくても、
寂しくはありません。

むしろ、
自分の両親を含めて、
私が誕生日だと知った人から、
心のこもっていない、

「誕生日おめでとう」

なんて言葉を言われるよりも、
何も言われない方が、
幸せだということに気づきました。

心がこもっていないお祝いの言葉って、
言われたら悲しいですよね。

私の原家族(自分が生まれ育った家族)は、
自分の誕生日を祝ってくれる人達ではなかった。

ただ、それだけの事実を受け入れるのに、
私は40年ほどの歳月を、
費やしてしまいました。

でも、自分の原家族には、
誕生日を祝ってもらうことは、
無かったけれど。

自分の娘から、
こんなLINEをもらうことが出来ました。

お祝いline

この子が生まれた時には、
里子に出そうかとさえ考えていた私に、
こんな温かい言葉を送ってくれる娘。

家庭の愛情など分からない私に、
育てられるのが可哀想だと、
思っていた私の心配を、

「お母さん、そんなこと考えてたの?!ネガティヴ〜」

と笑い飛ばしてくれた娘。

それだけで私はもう、
充分に幸せです。

以前は自分の誕生日は、
両親に感謝する日だったけれど、
今の私は娘からのLINEを見て、

「生まれてくれてありがとう」

と感謝する日になりました。

生まれてから今までの人生、早かった?長かった?

ずっと誰にも祝ってもらえなかった、
私の誕生日。

そんな私の誕生日を祝ってくれた、
娘からのLINEで。

実は、

お祝いline
の後に。

年齢を告げるline

と書かれていて、
私は固まってしまいました。
(私は47歳になりました)

なぜなら私の人生は、
苦しいことが多かったため、
私の中では、

ようやく人生の半分以上を過ぎた

という感覚だったからです。

けれど娘にとって今までの人生が、
早く過ぎ去ったと感じてくれるなら。

それは娘が幸せに、
生きてこられたという証のようで。

私は嬉しく思いました。

だって私は小学校に上がる前の幼いの頃、
空にいるだろう神様に向かって、

「いい子にしているから、早くお空に帰してね」

と願う子供だったから。

その時の私には、
"死"という概念は無かったけれど、

「ここに私の居場所はない」

ということだけは、
ずっと感じて生きていました。

そんなマルトリートメント(不適切な養育)を、
受けて育った私を、
知らない娘にとって人生は、

「早く過ぎ去るもの」

なのだと感じた私は、

「ようやく人生の半分以上を過ぎたよ」

と娘に返信しようとしていた、
手を止めました。

これじゃ早く死にたがっている人みたいだな

って思って。

子供の頃に、
自分の家族から存在を否定され、
この世界から消えることを願っていた私の、
存在を祝福してくれる娘に対して。

例えそれが自分の本心だったとしても、
敢えて、
娘が悲しがる言い方をしなくてもいいよね、
と思った私は、
娘を悲しませずに、
なおかつ自分の心に嘘じゃない言い方を、
考えに考えて、
結局、このように返しました。

lineの返事

今までの人生が早かったか、
長かったかなんて事には触れずに。

ただ娘への感謝の言葉と、
前向きな言葉だけを添えて。

人にお世話をかけずに、
元気に独りでこの世界から去っていきたい、
っていう私の気持ちは本当だから。

ただ、今までの私の人生が、

私には本当に長かった

ということを、
敢えて表現しなかっただけ。

人は楽しんでる時間はあっという間に感じるし、
辛く苦しい時間は長く感じるもの。

そして娘にとって、
私が人生を楽しんで生きてきたと、
思える今を、
私が過ごしているように見えるなら、
それは私にとっても嬉しいこと。

本当は。

私にとって"楽しい"と感じる感情は、
"幸せ"と感じるよりも上の感情で、
なかなか感じることは出来ないけれど。

子供の頃に安全に過ごせる場所を持たなかった私は、
安全に過ごせる自分の家に居るだけで、
幸せを感じることが出来ます。

でも、だからこそ。

一緒にいて楽しいと感じる相手を、
とても、とても大切に感じます。

そして、ありのままの、
自分の気持ちを綴っているこのブログで、
繋がってくれている皆さんも、
私にはとても大切です。

いつも、ありがとうございます。

もしも、
このブログを読んでくれているあなたも、
私のように、
自分の人生が長かったと、
感じているとしたら。

これからも続く長い人生を、
楽しんでいける自分になれたらいいですね。

そんな自分になれるように、
私もまた色々な行動を、
起こしていこうと思います。