そもそも私が、
“私は幸せになってはいけない”
と思うようになったのは、
その生育歴に大きな要因がありました。
という、
自分の生育歴を振り返った記事には、
書いているのですが、
私は自分を含めて4人という家族構成の中で、
父・母・兄の3人から、
存在を否定されて育ってきました。

どのような否定を受けたかというと。
父からは、
- 「女の子なら要らない」
- 「お前のせいで母さんは死にかけた」
- 「母さんの体が悪いのはお前のせいだ」
という私の存在を全否定し、
自分の存在に罪悪感を植え付ける言葉と、
その言葉にふさわしい扱いを。
私のASD(自閉スペクトラム症)の特性を、
理解できなかった母親からは、
- 「どうしてお前は普通の子のように出来ないんだろうね?」
- 「お前のことは理解出来ないから放っておくことにする」
- (ASDの特性から問題ばかりを起こし、でも勉強だけは出来た私に対して)「勉強だけ出来たって駄目なんだよ」
- (上の母親の言葉を受けて、勉強が出来ないように努力した私に対して)「勉強も出来ないなんて」
- 「お前はいずれ(結婚して)この家を出ていく人間なんだから」
- (勉強しか取り柄のなかった私に対して)
- 「女の子に学は要らない」
という、
私という人間の個性と心を、
全て否定する言葉を。
1歳上の兄からは、
私の存在を否定する父の前で、
場面緘黙症に陥っていた私が、
父親から食事を取り上げられても、
言い返すことさえ出来ずに、
ただ泣くことしか出来なかったため、
幼い私を庇った母が、
父と毎日のように喧嘩をしていた時に、
- 「お前さえいなければうちの家族は上手くいくのに」
という言葉を。
(詳しくは愛着障害に関する成育歴をご覧下さい)
これらの言葉は、
私の意識の中でこのように変換されました。
私はこの家に生まれる事を、
望まれていなかった子供なのに、
生まれてくる時に、
母親を死にかけさせて、
体を悪くさせてしまった。
私の脳内では自分のことが、
この映画の子供のような、
悪魔の子のようなイメージが、
出来上がっていました。
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こんな家庭環境で、
自分が幸せになっていいと思える子供は、
発達障害、定型発達関係なく、
いないのではないかと思います。
特に父親から言われていた言葉は、
小学校に上がるよりも前から、
何かにつけて言われていたため、
母が私を産む時に死にかけたということも、
私を産んだせいで母の体が悪くなったということも、
父親の嘘だったと分かる40年もの間、
ずっと私の意識の中で真実として存在し、
私の自己肯定感を下げる要因の1つとなっていました。
だから中学校に上がるまでの私は、
この家族の中で幸せになることなど望まず、
空に還る(この世界から存在が消える=死)
ことだけを望みとして生きてきたのです。

子供の頃の私は、
心身症などという言葉は知らなかったため、
絶えず自分を襲ってくる、
呼吸が止まる程の体のうちの痛みが、
きっと不治の病であり、
自分は長生きしない人間なのだ、
と自分に思い込ますことで、
辛い現実を乗り切っていたのです。
けれど、
そんな自分の望みが叶わず生き続け、
中学生以降も自分の人生が続いていくと知ってから、
私は幸せになりたいと望むようになりました。
私の望む幸せの条件はたった一つだけでした。
誰かの一番大切な人になること
自分のことを一番大切だと、
たった一人でもいいから思ってくれる人がいたなら、
私はその人に、
自分の人生を全て捧げようと思っていました。

それだけが私が人生で望むものであり、
それさえ手に入れられたなら、
それ以上望むものはありませんでした。
けれど、この望みを叶えるには、
とても高いハードルがあることを、
機能不全家族で育ち、
マルトリートメントを受けて育った私は、
知らなかったのでした…
長くなったので、
私が実の父親から受けた"私は幸せになってはいけない"という呪いを解けた理由.2
に続きます。