私の成育歴

マルトリートメントと私60.すーちゃんの引越し

引っ越し
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

学校の成績でいうと、
私は割とクラスでも、
勉強が出来る方ではありましたが、
小学校の頃から一緒に遊んでいた、
すーちゃんよりは少し劣っていました。

幼少期から、
マルトリートメントを受けていた私と違い、
友達のすーちゃんは、
お父さんが会社を経営していて、
家の中に、
有線放送を引いているほどのお金持ちで、
家庭での躾もしっかりされて、
小学生の頃は、
毎日自宅学習用の、
ポピーという教材で勉強していました。

田舎でそんな家に住んでいたのは、すーちゃん位でした。

それでも小学生の時には、
県版テストという、
県で一斉に行われるテストで、
学校でただ1人、
国語で100点を取るなど、
時々、皆んなが驚く結果を出していた私と、
平均的に全ての教科で、
成績の良いすーちゃんの間には、
総合的な成績にそれほど大きな差はなく、
生徒を成績で判断する担任のO先生が、
本当はすーちゃんの方が良かったのに、
間違って
私をクラスの副委員長に任命する位の、
差しかありませんでした。

けれど中学校も2年生になり、
高校受験が視野に入ってくるようになると、
有名な塾に通い出したすーちゃんと、
相変わらず家で何もしていない私との、
成績の差は徐々に開いていきました。

小学生の時に母親から、

「勉強だけ出来たって駄目なんだよ」

吐き捨てるように言われた私は、
勉強が出来ない努力をしていましたが、
それでも中学校で、
自分の成績が良いことを、
同級生から羨ましがられてからは、
勉強をする楽しさを取り戻し
母親から、

「お前は女の子で、いずれ(結婚して)、
この家を出ていく人間だから学は要らない」

と言われ、
自分の夢を打ち砕かれるまでは
勉強にも身を入れて、
頑張るようになっていました。

でも、
すーちゃんだけでなく、
クラスの他の子達も、
塾に通い出して成績が上がってくると、
学校の授業しか受けていなかった私は、
だんだんと成績上位者から、
ちょっと成績がいい人、
位に順位が落ちてくるようになりました。

それまでの生育歴により、
自己肯定感が低かった私が、
同級生に成績を褒められることで、
自分の自己肯定感を上げることが出来たため、
私も他の子供達と同じように、
塾に通いたかったのですが、

「女の子は勉強より家のことが出来た方がいい」

と言い、

「お前は高校までだからね」

と母親に宣言されていた私は、
もちろん、
そんな事を母親に言い出すことは出来ず、
夏休みや冬休みの前になると、
新聞の折り込み広告の中に入っている、
塾のチラシを羨ましく、
眺めているばかりでした。

すーちゃんは、
塾に行っている子の中でも別格の、
親が送り迎えしないと通えない、
遠くの、
成績が優秀な子の集まる塾に行っていて、
中学校の2年生の中頃には、
学年の中で、
他の子が追随することが出来ないほど、
頭1つ抜きん出た、
学年のトップを誇っていました。

私はそれだけでも、
親が自分の未来に対し、
献身的に協力してくれるすーちゃんのことを、
とても羨ましく思っていたのですが。

成績が良いと進学先が広がり、未来の選択肢も広がると考えていました。

さらに、とても衝撃的な話が、
私の耳に飛び込んできました。

それは、すーちゃんが、

「県で1番優秀な公立高校を受験するため、
その高校の学区に引っ越す」

という内容でした。

その話は本当で、
すーちゃんは中学2年生の終わり頃、
県で一番優秀な高校の学区内に建てた家に、
家族で引っ越していきました。

私はこの出来事で、
2つの大きな衝撃を受けました。

  1.  すーちゃんが家族からそこまで大切にされているということ。
  2.  すーちゃんが私よりも、高校のための転校を選んだこと。

最初の1つ目の、

「家族からそこまで大切にされている」

という思いは、
自分が家族に大切にされることは、
小学生の頃に諦めていたため、
そこまで、
家族に大切にされているすーちゃんを、
羨ましくは感じても、
恨む気持ちにはなりませんでしたが、
2つ目の思いに関しては、
裏切られたような、捨てられたような
どす黒い気持ちを持つことを、
止めることが出来ませんでした。

小学生の頃から、
家に一緒に帰るようになって、
すーちゃんのお母さんから、

「あの子と遊んではいけません」

と言われて一時期疎遠になったものの、
学校という社会で生きていけなくて、
すーちゃんに普通を教わる私と、
優等生だけど、
やっぱり友達作りが上手くなくて、
私を従えることで、
自分のプライドを守っていたすーちゃん。

私とすーちゃんの間には、
友情と簡単に呼ぶには難しい、
共依存のような関係が、
出来上がっていたのでした。

そんな中から、
1人、私を置いて、
抜け出ていったすーちゃん。

それは私にとって、
自分1人が暗闇に捨てられたような
孤独な気持ちを味あわせました。

「私は独りだ」

他にも友達は居たけれど、
共依存関係にあった人間を失った私は、
そのような気持ちに囚われました。

いえ、本当は、
そんな理路整然とした理屈がある訳では無く。

小学校入学時、
発達障害の特性全開だった、
本来の私らしい私と、
ずっと毎日一緒に遊んでいたすーちゃんが、
私に何を言うこともなく転校を決めて、
私の目の前から居なくなったことが、
寂しかったのでした…

マルトリートメントと私61.病気を望んだ結果に続きます。