先週の土曜に精神科を受診して、
医師から正式に愛着障害と、
発達障害のなかの自閉スペクトラム症、
と認められてから、
自分の心の中の頑張る気持ちが、
プツンっと切れてしまったようで。
職場で人との意思疎通が、
上手くいかなかった時に、
「あぁ私、自閉スペクトラム症と愛着障害だもんな」
って考えてしまった自分に気付いて、
そんな自分の思考の危うさに、
ゾッとしました。
なぜなら私が自閉スペクトラム症で、
愛着障害者だったとしても、
周囲の人間がそのことで、
私に優しくなったりはしません。
だから。
自分は障害者だと考えることで、
自分のコミュニケーションの下手さに、
落ち込む気持ちが軽くなったとしても。
自分は障害者だから、
という考えを持つことで、
私が生きやすくなったりはしない。
ということを、
失念してしまっている自分に、
気付いたからでした。
まして私は本来なら、
愛してくれる存在であるべき家族から、
疎外されて育ち、
その成育歴によって発症した愛着障害から、
いつも人に対して妬みや嫉みを持って、
生きていたため、
私という人間に好意を持って、
私を支えたり、
守ってくれたりする存在などに、
出会ったことはありませんでした。
(私に良い顔をして近づいて利用してきた人はいました)
そんな私が、
自分は障害者なのだから、
人とのコミュニケーションが
出来なくてもしょうがないと、
相手から気を遣われることをあてにして、
人とコミュニケーションをとることを、
頑張らなくなってしまったら、
私はどんどん、
社会から疎外される人間になってしまい。
それはとりもなおさず。
社会から享受できる文明なくしては、
生きていけない人間である私が、
生きていけないことを、
意味していました。
自分の人生は自分で改善する。
そんな気概が無ければ。
実の母親からでさえ、
小学校低学年の時に見捨てられた、
そんな私が、
周囲の思い遣りをあてになどして、
社会で生きていけるはずがないのです。
私と家族の関係が知りたい方は【マルトリートメントと私】と題したブログをご覧ください。
なお、私の原家族(私が生まれ育った家族)は父・母・兄と私という4人構成となっているのですが、私と他の3人の関係を端的に表した記事をあげると、次のようになります。
私は、ひとりで、
生きていかなければならないから。
誰か、の助けなど、
あてに出来るはずはないのだから。
だから。
自分の障害を、
頑張ることをやめる理由
にするのではなくて、
自分が幸せに生きるため
に活用しようと改めて思い、
自分の心を戒めたのでした。