先日のブログ記事で、
年末年始の帰省時の、
母親と過ごす限界点を書いたのですが。
実は、母親とは別に、
私は兄とのコミュニケーションの限界点も、
密かに探っていました。
私は実家に帰る時には、
「どのように時間を過ごすのか?」
の計画を立てるようにしています。
なぜなら特に目的もなく、
ただ皆んなで集まってコタツに入り、
惰性で何となくテレビを観るといった、
そんな時間を浪費するような過ごし方が、
私には耐えられないからです。
これは私の、
雑談が苦手なASDの特性に、
関係しているのかもしれないのですが、
何か行動を起こすなら目的が欲しい。
と、考えてしまうのです。

そのため私は日常生活の中に、
色んなミッションを(勝手に)散りばめています。
今回の兄とのコミュニケーションの限界点も、
そのうちの1つでした。
私は幼少時に兄から、
と言われていた子供でした。
そんな私と兄の仲が良いはずはありません。
私にとって兄は自分の存在を否定する者で、
兄にとって私は自分の家族の仲を悪くする者でした。
それでも、近所に歳の近い子供のいない、
たった2人の兄妹だったので。
兄が小学校に上るまでは、
よく一緒に遊んでもいたのです。
そして、そんな兄は、
超ビビリでした。
特に虫が苦手で、虫が家の中に出ると、
兄は私を盾にして私の背中に隠れていました。
幼い頃に暮らした家は、
田舎の網戸もない隙間いっぱいの家のため、
虫はよく家の中に入ってきました。
私も虫が得意な訳ではなかったけれど、
頼りにする相手に先に怖がられてしまったら、
自分が怖がることは出来ませんでした。
そんなビビリな兄だったのですが。
成長して兄の身体的力が増していき、
それに反比例するように、
歳をとることで父親が弱っていくにつれて、
子供の頃から、
父親に押さえつけられていた反動からか、
兄の態度が、
父(時には母へも)に対して増長していき、
とうとう、
「この家で一番"学"と常識があり、
真っ当な人間は自分」
だといった態度を、
取るようになってきました。
私は、
そんな兄の態度が気に入りませんでした。
兄に"学"があるのは、
中卒という学歴でも、
子供2人を養える給料を働いて稼ぎ、
兄には大学まで、
私には高校までの学費をだしてくれた、
(1年制の専門学校にも行かせてくれた)
父と母のお陰だという意識が、
私の中にあったからです。
私の、
大学へ行って研究者になりたいという夢は、
「女の子に学は要らない」
という考え方の母親には伝わらず、
叶うことはなかったけれど。
それでも後から親戚が、
「じゅんは女の子だから高校進学も要らない」
と言っていたという話を聞いた時には、
心底ゾッとしました。
コミュニケーション能力の低いASDの私に、
高校卒業程度の学力も無かったら、
社会の中で生きていけないと思ったからです。
そのため、
親戚達が「貧乏なのだから必要無い」と、
周囲が反対するのを押し切って、
父と母が私を、
高校まで進学させてくれたことに、
私はとても感謝していました。
私が高校に入学した昭和63年は、
女の子であろうと、
高校に進学するのが一般的で、
就職先の条件も"高卒以上"が多かったため、
就職出来る最低限の学歴も無かったら、
社会で生きるスタートラインにも立てないと、
考えていたからです。
私は何かにつけて、
父と母を"モノを知らない"と見下げる兄に、
対抗するようになりました。
その時には私は働き出していて、
ASDの特性や機能不全家族育ちのせいで、
社会的一般常識は身に付いていなくて、
苦労したけれど、
失敗して覚えていくことで、
その不足していた知識を補っていた頃でした。
その時によく兄が、
両親に対して不遜な態度をとっていたのは、
入院していた父の医療費に関することでした。
病院の手続きなど、
70歳の老人には分からなくて当然なのに、
自分では何のアイデアも出さず、
ただ、あれこれと手続きについて母に、
「どうするんだ?!」
と決断を迫るような態度に、
私は兄が、
弱者イジメをしているような気持ちに、
なりました。
営業職に就いていた兄とは違い、
仕事で人事・労務に携わり、
社会保障に関わる仕事をしていた私は、
高額療養費制度といったものにも、
詳しかったため、
私は仕事で得た知識という力を用いて、
圧力をかける兄から母を守るように、
兄に対抗するようになっていきました。
(揉める理由はやっぱりお金)
その頃からでしょうか?
もともと男尊女卑の家風のため、
実家にいたら家事などの仕事の手伝いが、
たくさんある私に対し、
実家に帰ったら、
"長男で男だから"
と、
上げ膳据え膳の扱いを受けていた兄が、
役に立たないと自分が見下げていた、
私に食事を用意されるようになって、
それとは逆に、
人のことを見下げながらも、
実際は座ってばかりで、
何も実家に貢献していない自分のことを、
少し居心地悪く感じたのか、
私を見下げる態度を、
軟化させてくるようになりました。
そんな兄の態度の変化を受けて私は。
マルトリートメントを受けていた両親との、
関係性を改善出来たことに満足し、
放っておいた兄との関係性の改善に、
着手してみようという気になったのでした…
長くなったので、
に続きます。