愛着障害

他人には理解され辛い愛着障害者の幸せな誕生日

私が娘からの誕生日祝いを断った理由

自分の誕生を父親に祝ってもらえなかった
その出生ゆえか。

私には子供の頃に、
自分の誕生日を、
両親に祝ってもらった記憶がありません。

兄が誕生日を祝われていた記憶はあります。
兄の誕生日祝いと言えば、その頃の流行りで、近所の子供たちを家に招いて誕生日会を開いたこともありました。
家で行われる誕生日会でありながら、私がその祝いの席に加わることはありませんでした。
その頃すでに兄と仲が悪く、小学校でも問題児として認定されていた私は、その集まりの中に居場所などなかったためと、
兄に誕生日会開催をせがまれて、貧乏ながらやりくりをして兄のための誕生日会にご馳走を用意していた両親が、
誕生日会当日になって、誕生日会で出すホールケーキを用意していなかったことを知った兄が怒り狂い、
私は父と二人でホールケーキが売っている店を探し回り(休日だったため閉まっている店も多かったのです)、隣町まで行っていたからでした。
父は兄のためなら、休日にケーキを探し回ることもやぶさかではなかったのです。

そんな私の出生の話を、
恐らく薄っすらと、
周囲の人間から聞き及んでいた娘から、
私の誕生日の前日に、
連絡がありました。

「お母さん、お誕生日に予定が無かったら、
うちで一緒にご飯を食べない?」

って。

娘がご馳走を作ってくれるとのことでした。

まだ2ヶ月の赤ちゃんを抱えて、
家の片付けも思うように出来ない、
と言っていたのに、
料理を作る時間を、
捻出するのも大変だろうに、
そんな申し出をしてくれた娘の気持ちが、
とても嬉しくて、
とてもありがたく思いました。

そして、
とってもありがたい気持ちだけ受け取って、
私は娘からのその申し出を、
辞退させていただきました。

娘が作ってくれると言ったのは鍋料理で、
私は娘と2人で食べるのだったら、
平気なのですが、
まだお互いに気を遣ってしまう、
娘の旦那さまと一緒に鍋料理をつつくのは、
慣れていない人と関わる時に、
とても気を遣ってしまう愛着障害者で、
普通に振舞っていると、
周囲の人間に不快感を与えてしまい易い、
ASDグレーゾーンの特性を持つ私には、
とてもハードルが高く、
楽しんでご飯を食べることが出来ないと、
思ったからです。

それなら私は家で1人で気楽に、
自分の好きな食べ物を、
好きなペースで好きなだけ、
食べる方が心地よいと思ったので、
娘からの気遣いを、
無下にするのは気になりましたが、
そのような、
自分の気持ちよりも、
周囲の人間の気持ちを優先する、
忖度をするのは、
自分の誕生日だからこそ、
辞めようと思いました。

「誕生日に1人なんて可哀想」

そのような考え方をする人が、
一般的にはとても多いと思いますが、
誕生日を両親に覚えられてもいない、
かえって誕生日に両親から掛けられる言葉で、
余計に傷ついてしまう
そんな誕生日を過ごしてきた私にとって、
誰とも関わらない誕生日の過ごし方は、
自分の心を守る上で、
とても大切なものでした。

そして。

そこまで過去の、
私と両親の関わりを知らないまでも、
一人を好む、
ASDグレーゾーンの私の特性を、
良く知っている娘は、
私が遠慮からではなく心から、
家で1人でご飯を食べることを、
望んでいるのを分かってくれて、
無理に誘ったりはしませんでした。

私には娘のそのような気遣いも、
とても嬉しいものでした。

このような自分と相手のことを考えて、
決断したことでさえ、
ASDグレーゾーンの特性を持つ私には、

「人の好意を無にした」

などと悪意ある捉え方をされて、
人間関係の摩擦を生むことが多いからです。

だから、自分と相手の心を慮って、
私が行かないと答えたことに気付いてくれて、

「あ~確かに○○君(旦那様の名前)と、
鍋はまだハードル高いかもね」

と言ってくれる娘の存在は、
私にはありがたいものでした。

家族関係が良好に育ってきた人には、
伝わりづらいかもしれないけれど。

家族の間でこそ、
心を許すことが出来なかった私は。

お互いを思いやる気持ち

から、
娘からの誘いを断って、
1人で過ごす誕生日を選んだのでした。

娘にとって”たったこれだけ”のことが私を幸せにする理由

娘は私の愛着障害者の特性と、
ASDグレーゾーンの特性を、
理解して尊重してくれる、
この世で唯一といっていい存在なのですが、
そんな娘でも、
私を誕生日に1人で過ごさせて、
何のお祝いもしないのは、
気持ちが落ち着かなったようで。

娘からの、
誕生日祝いの食事会を断った翌日、
今度は娘と孫しかいない時間帯で、
私の誕生日を祝うケーキを一緒に食べよう、
という申し出を受けました。

私の誕生日に何かをしたい、
と思ってくれる気持ちが嬉しくて。

それなら…と思った私は、
今度は娘の誘いに乗ることにしました。

娘と、0歳児の孫と、
一緒にケーキ屋さんに行って、
お気に入りのケーキを1つ、
娘から買ってもらいました。

ケーキとお茶

とっても美味しかったです。

娘からは

「こんな小ちゃなケーキ1個でいいの?」

なんて言われたのだけど、
私はこれで十分満足、幸せでした。

私の誕生日を祝ってくれる人がいる。

そのことだけで、
親から誕生日を祝われてこなかった私は、
幸せを感じることが出来たのでした。

誰かが私の出生を、
喜んでくれるという出来事。

幼い頃に『空に還る』ことを願っていた私に、
こんな日がやってくるとは、
想像することさえできませんでした。

娘が私が誕生日に望んだものに対して、

”たったこれだけでいいの?”

と思ってくれたのも、
私にとっては嬉しいことでした。

その発言は暗に、

誕生日は祝われて当然のもの

だと娘は感じていると、
私に教えてくれたからでした。

私は暖かい家族を知りません。

子供に対する愛情がどんなものか知りません。

だから自分が子供を持つことを、

自分と同じ不幸な子供を増やすこと

だと思ってきました。

でも、違いました。

愛着障害者の子供でも、
人と、
人間関係を上手く構築することの出来ない、
ASDグレーゾーンの子供でも、

人を思い遣る気持ちを持つことも、
愛情を感じることも出来る

子供に育ってくれました。

もっともこれは、私の育て方というよりも、子供の本来の特性のお陰が大きいと思っています。

子供が親の面倒をみるといった、
家族が自分の役割を全うしていない、
機能不全家族の中で育った自分だからこそ、
子供に対して、
親からもらえなかった愛情を求めることは、
しないと決めているけれど。

私の誕生日を覚えていてくれる人がいる。

それは私にとって、
涙が流れるほど、
心を震わす出来事だったのでした。