回想録

私が父親から受けた行為をこのブログに書く理由

お風呂に入る少女

これから私が書く内容は、直接的な表記は行っていないものの、性的な内容が含まれているため、人によっては不快感を感じることがあるかもしれません。
読まれる方は、そのことに留意していただきますよう、お願いいたします。

私の幼少期の経験は、
とても幸せなものとは言えませんでした。

父親の暴力や暴言に加え、
兄からも、
自分の存在を否定する言葉を浴びせられ、
私はそんな環境の中で、
自分の存在を守ることだけで、
毎日精いっぱいでした。

幼い頃には、
私を何とか守ろうとしてくれていた母も、
諍いばかりの家庭生活に、
疲れてきてしまっていたのでしょうか、
私が成長するにつれて、
だんだんやはり私に対して、
否定的な言葉を使うようになり、
母が大好きだった私は、
何とか母の気に入る子供になろうと、
努力しましたが、
母が私に言うことが、
一貫していなかったこともあり、
だんだんと、
自分がどう振舞ったらいいか、
分からなくなってしまいました。

そしてそんな辛い家庭環境の中で、
母に対して、

「この人も私の味方ではないのだ」

と、
私の心の中で決定的づけてしまったのは、
まだ小学校低学年だった私が、
父親と一緒にお風呂に入っていた時に、
実の父親から猥褻な行為をされて、
それが気持ち悪くて、
悍ましくて、
大声でわんわん泣いてしまった時に、
何があったのかと飛んできて、
父に詰問した母に対して、
父が泣く私に怒り狂って、
自分が私に対して行った、
猥褻行為の内容を怒鳴って告げて、

「それくらいのことで泣きやがって!!」

と、
吐き捨てるように言って、
お風呂場から立ち去った時に、
泣き続ける私に母が、

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

と怒って私に言った時でした。

この時、私が、
父親にどのようなことをされたのか、
気になる方は、
こちらを読んでいただければと思いますが、

それは、

児童福祉法違反

及び、

刑法第179条
監護者わいせつ及び監護者性交等罪
(平成29年の刑法改正によって新設)

に該当し、

もし私が小学生の時に、
この刑法改正が行われていたなら、

父親が警察に逮捕されていた

ような行為でした。

けれど実際に、
被害者である私の身に起こった出来事、
といえば。

その事実を知った母親からさえ、
何ら助けが入ることは無く。

加害者である父親に怒鳴られ、
監護者である母親から
怒られる

といった結末でした。

この時に、
私の味方はこの家族の中にはいないのだと、
決意のような気持ちで、
心に思ったように思います。

父の私に対する猥褻行為が、
母に伝わったのは、
(おそらく)それ1つだけでしたが、
父の猥褻行為は、
父が長距離トラックの運転手となり、
家族から離れて単身赴任となるまで、
陰でずっと続けられていました。

父は、母や兄にバレないように、
こっそり猥褻行為を私に行っていて、
父親が怖かった私は、
逆らわずに、
されるがままになってなっていたので、
お風呂場で私に猥褻行為を行った時も、
父は私が大泣きして、
自分が私に行っていることが、
母親にバレるとは、
思っていなかったのではないか、
と思います。

私が父親からどのような行為を受けていたか詳しく知りたい方は、
愛着障害に関する成育歴の目次の中の、

3 愛着障害に関する成育歴
・私の成育歴
・【マルトリートメントと私.小学生編】

をご覧ください。

私はずっと、このことを、
人に話さずに生きてきました。

今までの人生で、
このことを人に話したのは3人だけです。

母も兄も、このことは知りません。
(兄は私が大泣きしたお風呂でのことも、おそらく知りません)

父の行為を泣いて母親に訴えて、
けれど刑法に引っかかるような行為も、
母親から、

"それくらいのこと"

と言われて怒られたら、
もうそれ以上、
母に助けは求められませんし、
自分と1歳しか違わず、
自分の味方になってくれそうもない、
しかも男性である兄に、
こんなことを言えるはずもなく、

実の父親からそんな行為をされている自分は汚い、
もう他の同級生の子供達とは違う

と感じて、
そんな自分を、
人に知られたくありませんでした。

早くこの生が終わってくれることを、
願っていました。

そんな私が今も生きていられるのは、
父が長距離トラックの運転手、
という仕事を選び、
単身赴任という生活形態を、
選んでくれたおかげです。

私はこのブログを書き始めて、
4年ほどになるのですが、
ここまで自分の、
心の奥深くの傷に触れる内容は、
書いたことが無かったと思います。

私がこのような内容を、
ブログで書こうと思ったのは、
父親が昨年亡くなって、
もうそこまで父親の体面を、
気遣う必要は無くなった、
と思ったことと、
私が心を開いていた、
とある心理を扱う仕事をしている方から、
私のような経験をしている人は、
日本人の1%くらいしかいないから、
人の共感は得られない、
と言われたことが理由でした。

自分は同級生の皆んなとは違って汚い

そんな風に思っていた当時の私が、
もし、自分と同じような、
経験をしていた人に会って、
そして、その人が、
大人になった時に幸せになっていたら、
それは、
生きる希望に繋がったのではないか、
と思いました。

その心理を扱う仕事をしている方が、
言ったように、
本当に、
私のような経験をしている人が、
日本人の1%程なのかは分かりませんが、
数がそんなに多くないであろうことは、
想像出来ます。

そんなわずかな人に、
私の声が届けばいい、と思いました。

大丈夫だよ、
ちゃんと幸せになる方法はあるよ。

そんな風に、思ってもらえるように。